VMDの仕事はつらい?楽しい?

VMDの仕事をしているところ

1.仕事とは?

仕事とは何でしょう?
この間、当ブログで「好きを仕事にするには」というタイトルで書いた日誌は、好きなことを仕事にすれば幸せになる、というメッセージで書きました。

●好きを仕事にするには

自己の働き方改革は、好きな仕事をするか、仕事を好きになるかで、ある程度進捗するものだとずっと思っていたからです。

が、「会社はあなたを育ててくれない」※という本を読んで愕然としました。
※古屋星斗 大和書房

文中の労働1万人調査では、「仕事とはつらいもの」と思っている人と、「仕事とは楽しいもの」と思っている人の割合はほぼ半々でした。
半分の労働者は「そもそも仕事とはつらいもの」と割り切っているということでした。
しかも、男性で学歴が高く大手会社で仕事している人ほど、そうでない人より「仕事つらい」意識が高いんです。

しかし、こうした「仕事つらい」派は、「仕事楽しい」派よりも、仕事の満足度が高い、という結果になっているそうです。
しかも、キャリア進捗度(キャリアを積み重ねる度合い)に関しては、「仕事つらい」派は「仕事楽しい」派より7倍高い、という事実がありました。

「仕事つらい」と思っている人ほど、キャリアが高いという、この現象、唖然とします。
本はとてもおもしろかったです。

思い起こすことがあります。
売場塾に来られている方は、優秀な方がとても多く、その仕事ぶりに私はとても感心しています。
しかし、売場塾に入学する人がみんなVMDが好き、VMDは楽しい!と思っているわけではなく、

  • VMD担当に任命されたから
  • 販促の一助になると思ったから
  • 従業員を管理する立場として必要だと思ったら
  • 売場の佇まいを直すのにVMDが役に立つと思ったから

というような感じで、すごくビジネスライクで合理的なんです。

  • ディスプレイ制作がめちゃめちゃ好き
  • VMDの仕事を一生やっていきたい!
  • 店舗デザインが好きでたまらない

という方はいるにはいますが、大勢ではありません。

足元を見てみると、確かにうなづけます。
自社の社員も「VMDは好きなわけではない」といっていたのを思い出しました。

バリバリCADを駆使してクライアントの店舗デザインをつくったり、売場塾の教材を次々に作り出してくれる優秀な社員です。
受講生アンケートをチェックしたり、オンライン売場塾のスタジオ設営とIT機器コントロールをしているのも彼女なんですが、どうやら「仕事つらい」派のようです。

すなわち、仕事を楽しめるか?と成果は別であり、割り切って仕事をこなしてキャリアアップしている人は多いということです。

この事実、すごいですね。

「情熱を傾けて仕事をすることが正道」
「モチベーションがあれば仕事は続けられる」
「熱意があれば、誰でも夢をかなえられる」

のではなく、熱意に興味なく淡々と仕事をこなして成果を出しキャリアアップしている人は普通にいることを知りました。

「生活の糧を得るために仕方なく仕事している」
「仕事より、仕事が引けた後の余暇を充実させている」
「楽しいからこの仕事をやるというよりも必要だからやる」

ということになるでしょう。
上記のセリフの中の仕事をVMDに置き代えてみましょう。

「生活の糧を得るために仕方なくVMDしている」
「VMDより、VMDの仕事が引けた後の余暇を充実させている」
「楽しいからVMDをやるというよりも必要だからやる」

なるほど~。

人生の幸福度とキャリア形成、これらと仕事の好き・嫌いは別

ということがわかりました。
結果、下記の結論に至りました。

「仕事とは何か?」を正確に定義することはできない。
仕事観というのは個人によってさまざまである。

2.コツコツ積み重ねていくのがいいらしい

去年の9月放映のTBS「日曜日の初耳学」で林先生が、「小学校ていやなところだったよね。スポーツできる奴がクラスの中心にいて。そういう奴の追跡調査したら大した人になっていなかった」とか言ってました。

ちょうど今年の夏、高校生同窓名簿が自宅に届いていたので、本当にそうなのか、確かめてみることにしました。
同窓生名簿には、ある程度出身大学と就職企業名が書かれています。

私もけっこういい年なので、役職ついている同窓生いるだろうなー、と思って調べたら、やはり社長や常務、役員やっている人がいました。

そして、スポーツのキャプテンやっていたような同窓生こそ、みんなが知っている一流企業の副社長、役員などもやっていました。
中には会社を起こして社長になった人、政治家もいました。
予想にたがわず、スポーツできて優秀で、いい大学卒業していい会社に入った人は、ごっつ出世していました・・・。

「いい大学入っていい会社入って出世しろ」と口酸っぱく言われてきた、昭和世代の我々は、やっぱりそういうロールモデルが多数いることがわかりました。
(その頃は大学率進学率は26.9%で、59.1%の今年と違いは大きいのですが)

あと、発見がありました。
私のいた高校は進学校でしたが、理工系の方も半数くらい。
電機・薬品・化粧品・自動車・インフラなどの会社に行った人は研究員として特許を取っていることがわかりました。

  1. 神経刺激電極および神経刺激システム
  2. 常時給電装置の異音防止構造
  3. 自動変速機の変速制御装置

などなど。

そして論文書いたり、大学教授になっている人も目につきました。

それが、私の同クラスや同じ同好会のメンバーだったりします。
それらの人は、ものすごーくクラスや学年で目立っていたわけではないのですが、こうやって同窓会名簿を見てみるとすごいな、の一言です。

サイトで詳しく履歴を調べてみると、長年会社に所属してコツコツキャリアを積み重ねていき、研究所所長になったり、教授に転身した人も。
論文や学術書を発行している人もいました。

こうしたコツコツの積み重ねは、先ほどの例でいうと下記のような貢献になるでしょう。

  1. 神経刺激電極および神経刺激システム →病院の手術治療器の開発
  2. 常時給電装置の異音防止構造 →洗濯機の静かな運転を実現
  3. 自動変速機の変速制御装置 →自動車のスムースなシフトチェンジ

みんなのコツコツがニッポンの技術を支えている。
手術が成功するのも、自動車がスムースに運転できるのも、こうした地味で目立たない人のコツコツがあるからこそ成り立っていると言えます。

同じように、売場塾の卒業生も、大学や専門学校でVMDを教えたり、社長になって論文をまとめて書籍を発行している人もいます。
VMDに接しているみなさんのコツコツはニッポンの流通業の役に立っているということです。

昭和時代のように、長く会社にいて貢献する人は少ないと思いますが、コツコツ何かをやっていくと積み重なっていき、それが公開できるノーハウになっていくということです。

VMDインストラクターの資格を取る、ということもコツコツの小さなひとつの活動かもしれません。

3.世界は誰かの仕事でできている

缶コーヒーのジョージアのCMで「世界は誰かの仕事でできている」というのがありました。
これ、とてもいいCMだと思います。

ジョージアを飲んでいるさまざまな現場の労働者が主役のCMですが、最後にオチがあるストーリーがおもしろいです。
●山田孝之さん出演ジョージアCM集!

CMではいろいろな労働者が登場します。
営業マン、交通整理、焼き鳥屋、現場工事、スタジオクルー・・・。
何かの仕事をしている人であり、たとえそれがアルバイトでも世間に貢献しているということです。
すばらしいですね。

これは先ほどの洗濯機や自動車の話と通ずるものがあります。
ジョージアのCMになぞらえていれば、コツコツ仕事をしていれば必ず世間の役に立つ、ということです。

ある思い出がよみがえりました。
私がわが社を設立して10カ月連続で売上がゼロだった時のこと。

当時、当社は新橋にオフィスを構えていて新橋駅からオフィスに帰る道々、つぶやいていたことがあります。

「あの電柱の広告もどこかの会社が貼っている」
「電柱自体もどこかの会社が建てている」
「このマンホールのフタもどこかの会社がつくっている」

と。
売上ゼロの当社は、まだ何もつくり出していなかったのです。
ジョージアのCMに例えて言えば、

「世界はどこかの会社の売上でできている」

と打ちひしがれていました。
そしてようやく当社は、11カ月目にして初めてVMDの仕事をすることができたのです。
そのころ、1,000万の資本金でスタートしたわが社の残高は60万円になっていました。

4.快場は誰かの仕事でできている

私は会社を設立してすぐ、快場という言葉をつくりました。
「ショッピングが心地よい売場」という意味です。

●快場とは

それから23年の月日がたち、ニッポンの売場は心地よいものになってきたことを感じます。
ショッピングモールで、駅ビルで、商店街で、市場で、楽しくショッピングできる環境に進んでいることを実感しています。

当社も少しは世間の役に立っているんでしょうか。
でも買い物客は、売場をつくっているのは誰か知りません。
ましてや、VMDという職業があることも知らないでしょう。

しかし、VMDインストラクターに限らず、どこかの誰かがコツコツと快場づくりをしてるんです。

そのコツコツは、前述した通り、情熱がなくてもいい、淡々と、でもいいと思います。
しかし結果としてお客様がワクワクできているのだから、やった甲斐がある仕事だと言えます。

  • 商品をお客様が選びやすいように陳列する
  • 通路がわかりやすく見えるように、什器のグリッドラインを揃える
  • 横を向いている商品を正面に向ける

こんな小さなVMD活動でも、快場という世界をつくっているんです。
ぜひ、流通業に関係している方、接している方はVMDという仕事を通じて世界の一員であり続けるように願います。

それが「日本中の売場を快場にしたい」と願う当社の心意気であります。
今日はVMDの仕事観についてお話ししました。

5.後日談

余談なんですが、同窓生名簿を調べていたとき、もうひとつの発見がありました。
それは、ふくよかになった人ほど顔がわからなかった、ということです。

年を重ねている皆さーん、ぜひ体型管理しましょう~!!
暴飲・暴食せずに適度な運動を心がけましょう~。

なお、VMDインストラクター起業・副業相談会では、仕事の話もばっちりお話ししています。
VMD好き・嫌いに関わらず、あなたの人生のコスパやタイパに合いそうだったら気軽にご参加下さい。
毎月やっていて無料です。

●VMDインストラクター起業・副業相談会

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

好きなことを仕事にするには?

映画のパンフレット

会社員であって自分にとって好きな仕事ができる。
これってすごくいいですよね。

先月書いたブログは「いかに自分のためになる仕事をするか」、その方法を書きました。

●インストラクターって必要なの?

今回は一歩進めて「自分の好きなことを仕事にするには」についてお話しします。
いつもながら赤裸々な自分の過去を振り返ります。
昭和時代からの話だから、ビデオやスマホがまだ登場していないので、世相に注意して読んでくださいね。(^^)
では始まり、始まり~。

1.始まりは8mm映画から

富士宮市の街中で過ごした子供時代に懐かしい場所があります。
それは家の近くにある「第一劇場」という映画館でした。

小6の時にテレビで「大脱走」を見て外国映画にハマり、家から歩いて300歩くらいの劇場によく映画を見に行ってました。
その劇場は「第一劇場」といい、燃えよドラゴン、ダーティハリー、未知との遭遇などアクション、SF作品をメインに見ました。
上の写真がそれらのパンフレットです。

高校時代には映画研究同好会に入り、親の8ミリカメラを借りて映画をつくりはじめました。
映画は作るのもおもしろく、見た人が感動するのを見て、いつかこの世界に入りたいと思うようになりました。

やがて月日は経ち、大学3年になりそろそろ就職の準備をしなければ、という時期になりました。
どうやって映画会社に入れるようになるのか、考えてみました。
映画作品を作ってそれをPRしたらどうか?
とりあえず、そのような結論に至りました。

しかし8ミリ映画はフィルム代とカメラのメンテナンスにも金がかかります。
資本金も何もない私は、まず親の仕送りをすべてフィルムに回した結果、毎日インスタントラーメンの日々になりました。

まずは脚本です。
「午後の天使」という題名で警備士の老人とタレント追っかけ少女を出来事にしたシナリオを1本作り友達に回し読みしてもらいました。
しかしあまりウケません。

そこで原作を探すことにしました。
ちょうどルームメイトに作家志向の人がいて、書きおろしを読ませてもらいました。
ホラー映画とコメディが一緒になったようなストーリーでした。
「これなら低予算でできそうだ」と思い、それを脚色しシナリオの形にしてみました。

次に出演者を募りました。
「なんかおもしそう」という理由で比較的時間に余裕のある人が集まりました。
すぐに出演者は決まったものの、なかなか前に進みません。
みんなほとんど遊びで参加してくるので、時間が合わなかったり途中でアキて役を降りたりと、調整するのに苦労しました。

出来上がった20分の短編映画はかなり厳しいものになりました。
「これはとうてい見せられないかも」ということで、就職用にPRするのは諦めて次を考えることにしました。

一番ほっとしたことは、インスタントラーメン生活から逃れられることでした。

2.まずは映画やテレビの裏方をバイトしてみた

これはもう自分ひとりで作るしかないかも、と思った私はドキュメンタリー映画をつくることにしました。
これならば出演者を使わなくて済みます。

ただ、ドキュメンタリーの制作知識はないので、とりあえず映画会社とテレビ局でバイトして、業界を知ろうというということにしました。

東宝舞台という大道具制作の会社にバイトで入り、TBSの番組の大道具を作っていました。
こういう力仕事はまったく私に合っていなかったんですが、仕方がありません。
担当番組は、東芝日曜劇場、クイズダービー、2年B組仙八先生などでした。
超深夜の仕事で夜8時出社の朝6時帰りです。
昼間は大学の授業があるので寝不足の日々が続きました。

もうひとつは、映画やCMのエキストラ。
刑事映画やテレビCMの群衆の一部をやりました。

いずれにしろ分かったことは、映画やドラマは時間をかけて大人数でつくるということでした。
エキストラにしてもロケの準備が遅れて5時間待たされるのは普通。
子役が深夜でもじっと待っているのに、こちらはしびれを切らしているのが恥ずかしくなりました。

床に落ちてゴミになっているシナリオを持ち帰って勉強したり、大道具・小道具などの使い方や美術も参考になりました。
驚いたのは、現場で見ると汚い大道具もブラウン管で見るとすごくキレイに見えるということでした。

シナリオで驚いたのは、ベストテンみたいな歌の番組でも司会のアドリブまで事細かに書かれていたということでした。
もちろんそのまま読んでいるとは思いませんでしたが、どの番組でもセリフがかなり作りこまれていました。

3.竹の子族のドキュメンタリー映画を作ってみた

そんなことで、バイトの日々は過ぎていき、何を題材にドキュメンタリーをつくるかシナリオ作成段階まで行きました。
その時点で大学4年生になっていたので、あと就職解禁まで半年しかありません。
(当時は大学4年生の10月が解禁日でした)

当時、原宿では竹の子族が流行っていたのでこれを取材することにしました。
竹の子族とは、ホコ天の竹下通りでグループで踊りを踊る人たちのことです。
ロックンロールなティーンの集まりでした。

まず親戚の高校生のつてを頼って、竹の子族に潜入レポすることにしました。
ソニーのカセットテープレコーダーと8mmカメラを抱えて現地に行きます。
踊りの輪に入りながら撮影していきます。
それが終わったらインタビューという日々を繰り返していきました。

台風が接近していたある日のこと。
さすがに踊っていた人いないだろうな、と思い現地に行ったところ、ズブ濡れになりながら踊っているツワモノがいました。
濡れているのでややシースルーになり、撮影をためらいましたが背中ならいい、ということになり無事撮影を終えました。

「こういう行動って、外国人はどう思っているのだろう?」と思い、当時通っていた英会話学校の外国人講師にインタビューしたりもしました。
「日本人は個性を発揮しようと思ってやっているだろうが、みんなやりだしてからはそれが没個性になってしまっている」という手厳しい評価でした。

取材したフィルムを切り張りして、それにナレーション・BGを加えて完成です。
友達何人かに見せましたが、好評でした。

3.就職に足りないのはコネだった

その後、就職シーズになり、映画会社やテレビ局を受けます。
結果はどうだったか?
ゼロでした。。。

当時は就職冬の時代で映画会社自体、募集をしていませんでした。
テレビ局に関してはバイトをしたくらいでは何のアドバンテージにもならないこともわかりました。

そして、ドキュメンタリー映画はどうなったか?
「映画を見るにはかんべんしてください」という面接官が多く、20分物のフィルムを見る余裕はない、という理由でことごとく却下されました。
一日何百人もの面接がある人事部にはそんな余裕はないということがわかったのです。

「テレビCMって映画を15秒にしたものだろうな」
こう気持ちを切り替え、広告代理店志望に気持ちを切り替えました。

しかし広告代理店就職も甘くはありません。
だんだん分かってきたのは、「コネがないと入れない」ということでした。
事実、受かった広告代理店2社はコネが功を奏しました。

あまりに業界の慣習がコネだらけだったので嫌気がさし、当時投稿していたしていた朝日ジャーナルにそれをぶちまけました。
私の投稿は内容がおもしろかったらしく、毎回朝日新聞から謝礼をいただきました。
中には反論する読者もいましたが、今にして思えばブログを書いているようなものでした。
昭和時代は新聞や雑誌の投稿欄でしか、他人とコミュニケーションは取れなかったんです。

4.広告代理店で好きなことを仕事にする

そんなことで、広告代理店のラテ課(ラジオ・テレビのこと)に入社した私は、300本はCMを作ったと思います。
当時はカードCMといって動かないCMもたくさんありました。

映画を撮っていた経験が役に立ったのは、言うまでもありません。
上司の仕事で自治体のドキュメンタリー映画をつくることになり、シナリオも書きました。
今度は16ミリ映画でした。
親戚のママさんバレーの様子をネタに練ったシナリオはプレゼンを通過し、映画は完成しました

CM制作の仕事で一番役に立ったのが、CMコンテだったと思います。
大学の時、映画を撮る前にアングルやシチュエーションを決めるため、マンガみたいなものを書いていました。
それをコンテと言います。
ヘタウマですがCMコンテを書く営業はいなかったので、かなり重宝され、他営業の手伝いもしました。

人間国宝とコラボしたCMはACC賞を取ることができ、広告作品のいくつかは業界誌や本に載るようになりました。
私はディレクターではなく営業だったのですが、企画・プロデュースという役割で掲載されました。
優秀なディレクターが周りにいたのも幸いしました。非常に感謝しています。

広告会社変わってからは、番組製作もするようになりました。
バラエティ番組やドキュメンタリーが主でしたが、映画製作の経験が大いに役に立ちました。
大学時代の映画製作よりラクだったのは、会社の信用でスポンサーを募ることができたらからです。
自腹を切ってインスタントラーメン生活をする必要はありません。

こんな感じでいろいろ好きなことをしてきましたが、仕事をする上で厳しい条件がありました。

5.好きなことをするにはリスクを取らないといけない

サラリーマンなので、死ぬほどのリスクはありませんが、番組制作は多少のリスクが伴います。

それは、言い出しっぺが責任を取らないといけないことです。
最初に作った1時間のドキュメンタリー番組は、ある程度スポンサーが想定されたのですんなり行きました。
女性の活躍を題材にした企業ドキュメンタリー番組でした。

2回目と3回目はラジオ番組でしかも、3カ月から1年のロング番組。
4月の改編に合わせて企画するので、2月にはスポンサーが決まっていなければいけません。

以前と違い、まったく新しい試みの番組でしたので、まったくスポンサーのアテはありませんでした。
次のような番組です。

●アースデザイン・マインドミュージック
野鳥の声など自然の音とフュージョンをリミックスする30分の環境番組

●ラジオインターネットマニア
インターネットの面白ネタを紹介・コメントしていく番組

この二つの番組企画はすんなりラジオ局に通ったものの、スポンサー探しは難航しました。
番組放映時間は押さえているのでやらないわけにはいきません。
ギブアップはできないんです。

しかも私は「またあいつが何かやっている」という風変わりなポジションを社内で確立していたので、誰も相手にしてくれません。
1人でやるしかないのです。

思ったのは、「映画のプロデューサーってこうなんだろうな」ということでした。
優れた映画企画を作っても資金提供者が集まらないと映画はできないのと同じなんです。

とにかく日々、いろいろな企業に飛び込みをしては、断られの連続でした。
しかし、仕事とはなんとかなるもの。
「これはおもしろいから協力します」と言ってくれるスポンサーが現れるものなんです。

失敗したら会社を辞めようと思っていた私は運がいいことに、そのあと何回か番組・イベント企画を作っては実施することができました。

そしてこれは会社をつくる時に資本金を募って株主を探すことと似ていました。
株主もおもしろそうな事業を考えている若者に出資してくれるもんなんです。

6.会社のノルマは最低条件

最後にもうひとつ、リスクではないのですが、好きなことをするには会社のノルマを優先した上で行う、ということが大事です。

広告代理店で言うと、担当クライアントの扱いをキープする、買い切りを埋める、イベントを全員総出で行うとか、いろいろなノルマがあるんです。

会社で雇われている以上以上、ノルマは仕方がありません。
会社員であることの最低条件といえます。

確かに最低限のノルマはやって後はプライベートを充実するという「静かな退職」の選択肢はありますが、仕事に好きなことを上乗せすれば、充実感は増すはずです。
しかも、それで会社も儲かるというWIN WINだったら給与もよくなります。
私の場合も年俸アップしてもらっていました。

会社もWINなのに、報酬がよくならなしい好きな部署に移れないとならば、その会社に交渉するか、転職を考えた方がよいでしょう。

7.VMDをやりがいに変えた売場塾生

売場塾生の中には、今まで述べたようにVMDをやりがいにして成果を出し、会社に認められて昇進した人たちがいます。

例えば、メーカーに所属してお得意先周りをしている営業マンの方は、売場のプチコンサルをして回っています。
VMDインストラクターということでお店の方に重宝がられて、パイプは太くなり営業成績もよくなり、社長賞をもらいました。
VMDの研修もするようになると、お得意先を減らしてもらって営業の傍ら半分の時間はVMD業務をするという理想的な環境になりました。

またあるメーカーの研究員の方は、VMD好きが高じてショールームのディスプレイを自主的に作っていました。
展示会では季節や新商品のディスプレイレシピを配付し、特約店に売場づくりをアドバイスしていました。
やがて、その方は研究所から本社商品企画部に転勤となりVMD業務も担当することになったのです。

こんな感じで、VMDを好きになり、仕事のやりがいにして働き方を変え、自立していく人たちは売場塾では多くいます。
もちろん私のように会社員辞めてVMDで起業した人もいます。

来週末売場塾交流会を開催するので、ぜひ個性的な方々と交わってみましょう。

●第17回売場塾交流会「VMD Cafe」10/12(土)

8.VMDに関しては「仕事を好きにする」だった

だいたいわかりましたでしょうか、好きを仕事にするコツ。
まとめてみると、下記です。

  • 計画を立て行動してみる
  • 1人何役でもやる
  • 自分で責任を負う
  • 会社のノルマを優先した上で行う

これを徹底すれば、運は必ずついてきます。
なぜなら、前いた会社をクビにならなかったし、つくった会社もつぶれていないからです。(^^)

会社では自分の好きなことができない、というあなた。
あなたにとって好きなこととは何か、まずは考えてみましょう。
それを整理した上で、計画を立て社内で実現してみるんです。

ぜひ自主的に動いて自分の可能性を探って見てください。
あるときにクライアントの社長が言った言葉が思い出されます。

「言ったことを実行する、それだけだ」

さて、ここで、
どうして私は映像一筋できたのに、いまVMDやっているの?
と疑問に思う方、いるかもしれません。

いいところに気がつきました。(笑)
VMDに関しては、「好きを仕事にする」のではなくて、「仕事を好きにする」だったんです。
これを機会あるときにお話ししようと思っています。

それまでしばしお待ちください。~

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

働き方改革で週休3日制にしてみたら

バリ島のネコの休日

こんにちは。
みなさんお盆休み中だと思います。
地震の影響で旅行中止にした人も多いとか。

私はのんびり家で過ごしています。

休みついでにお話しすると、当社は今年から週休3日制を敷いています。
もう7か月経ちました。
今日は、週休3日にするとどうなるか、働き方改革の観点から、会社経営の観点からお話しします。

1.どうやって週休3日制を維持しているか

今年1月から始めた週休3日制、もう7か月経ちますが1度も休みを削ったことはありません。
思ったよりスムーズに行っています。

実は昨年10月から試しに週休2日と半ドンにしていました
難なく維持できたので、今年から週休3日制にしました。

会社経営しているのに大丈夫か?という向きもあるかもしれないのですが、まったく大丈夫です。
現に会社は元気に回っています。

忙しく働かなければ売上は上がらない。
忙しく働かなければ、会社に貢献しているとは言えない。
他の方が休みを取らないから自分も休みを取らない。取れない。

などと思っている人がいると思います。

私も広告マン時代はその一人でした。
20年連続勤務した人は、無条件で2週間休みが取れるという制度が当時勤めていた会社にありましたが、だれも申告する人はいませんでした。
そんな雰囲気なので、私も申告せず20年勤務の記念のペンをただもらっただけでした。

話を元に戻します。
今の週休3日制の決め方はこうです。

  • いつ休むかその都度、週の初めに社員と話し合って決める
  • 売場塾が(土)にあった時は、その分を週中に振り替える。つまり、週中2日と日曜を休む
  • 急にクライアントの打合せが入った時は休みをズラす
  • 祝日が平日に入った時は、週休2日制にする
  • 年末年始・GW・お盆休みは連続で1週間~10日休む

この法則をつくったおかげで難なく週休3日を維持できています。
ただ、これは当社のしくみによるところ大だと思います。
当社が仕事をパッケージ化しているからこそ、週休3日制が維持できていると思います。

2.仕事のパッケージ化

当社は数人でやっている会社なので、ほぼ自営に近いです。
自営というイメージは、クライアントの下請けとして毎日が忙しく、急な仕事も入るため休みもななまらない。
徹夜も多く、心身共に疲れている・・・。
というイメージがあると思います。

それに私のように株主がいる株式会社の場合、のほほんと会社運営するわけにはいきません。
収支報告もするし、配当もしなければいけません。
ではどうやって休みを増やしても仕事が回り、収益を維持できるようにするか?

それは仕事をパッケージ化するということです。
旅行代理店のようにパッケージ商品をつくるということです。
顧客に合わせてメニューをつくるというよりも、顧客に3つのパッケージ商品の中から選んでいただく、ということです。

「ハワイ旅行は3つのコースがあります。どれにしますか?」
というような感じです。

コースが決まったら、後はトッピングするだけ。
ワイキキコースに、イルカ体験ツアーとポリネシアン文化村ツアーを加えればよいのと同じです。

パッケージ商品は定価があるので、トッピング分をオプション追加すればよいのです。

当社のパッケージ商品はズバリ次の3つです。

  • 売場塾
  • リバイス
  • 店舗診断

当社のサービスはたったこれだけ。
これをベースにトッピングして、ディスプレイコンテストを加えたり、プランニングを加えたりして7つ位のバリエーションメニューにしています。

じゃあ、パッケージと全く別の仕事が来たらどうするの?
ということですが、それは売場塾生に回しています。

例えば、デコレーターのような仕事。
確かに装飾関係も当社はしていますが、それはコンサルタントとして。
プロップスを購入して店内をクリスマスに飾り付けし対価をいただく、という仕事に関してはデコレーターにバトンタッチ。
売場塾には多くのデコレーターが来ていますので、彼女たちにお任せしています。

そもそも「仕入れがある仕事は一切しない」という鉄則が当社にはあるので、クリスマスツリーを買ったり、キラキラを仕入れて天井に飾るということはしていないんです。

やるとしても、「クリスマスのインスタレーションを教える」というコンサル業務ならばOK。
クライアントにクリスマスのインスタレーションマニュアルを納品して、それで対価を得ています。
企業は全国展開しているチェーン店が多いので、マニュアルを配布して店員さんにつくっていただく。その方が効率的というわけです。
マニュアルの中にどこでどんなプロップスを仕入れるかが一覧表で書いてあります。

そんなワケでサービスがパッケージになっているので、問い合わせ→資料送付→説明→実績サンプルなども定型化してあり、クライアントに合わせてその都度つくる・・・という業務もなくなります。

サービスのプレゼンツールは問い合わせ先の業種・業態・取扱商品に合わせてバリエーションが用意してあります。
私の公にしている論文は100以上の事例があり、アパレル、雑貨、化粧品、自動車など数々のビジネス誌に公開している論文があり、それを「月刊VMD」という広報誌にしてクライアントに提供したりなどしています。

後は、サービスを定価で販売するということ。
「いくらでもいいです」というフリーランスもいますが、私はあまり好みません。
あくまでも定価で販売し、予算が足りない時はパッケージのうちのこれとこれを省く・・・というようなスタイルにしています。
つまりパッケージサービスを小分けにモジュール化しているということ。
そうすると、余分な労力を得ず、拘束時間に合った対価を受け取ることができます。

小さな会社は業務を絞り込み、パッケージ化し営業も自動化する、これに尽きると思います。

3.その他の工夫

その他の工夫として、当社が昔からやっている慣行を紹介します。

●営業はほぼ100%ネット

ここ10年くらいの新規クライアントの獲得状況を振り返ったことがあります。
新規はどこから獲得しているか?
それはインターネットでした。
ほぼ100%のお客様がインターネット経由で来ています。

これも、無駄な飛び込みや電話営業の時間を回避できる秘訣の一つです。

さらに、コロナ禍の時から資料請求はすべて郵送せず、PDFをダウンロードするす添付してお客様に送信するようになりました。
なので、パンフレットを製本する、郵送する作業はなくなりました。
請求書や見積書、契約書で郵送することもなくなりました。
契約書に関してはアクロバットのサインシステムを活用しています。

●テレワーク

これもコロナ禍からやっていますが、会社に来ていただき打合せをすることは少なくなりました。
売場塾にしても、授業や説明会、セミナーもネット併用にしたり、自室をキープせずに東京都の会議室を借り、銀座に教材用の倉庫を設けるなど、固定化を避け流動的にしました。
通勤の手間、教室のメンテナンスが省けることも時間節約の大きな利点です。

4.週休3日になって生活はどう変わったか?

さて、週休3日になって、私の生活はどう変わったか?について言及します。
だいたい以下2つのことが多くなりました。

  • 本をたくさん読むようになった
  • 英語の勉強時間が増えた

本はもともと好きでビジネス本中心に読んでいますが、加えて下記の本が多くなりました。

・小説
・エッセー
・美術本
・英語本

月に3冊のペース。
そのおかげで長期休暇のたびにBOOK OFFの集配便にご厄介になっています。

特に美術本はディスプレイとの関りが大きいので、最近注目しています。
英語本は、英語を習っているからでキンドル本を読んでいます。

英語に関しては、ここ10年はほぼ毎日勉強していましたが、今年からは1日2時間はやるようになりました。
レアジョブに加え、パタプラも並行することに。

この英語学習、最近気づいたことですが、勉強時間を増やせばペラペラになるかというとそうでもないのがわかりました。(笑)
いま新しい勉強法を探っています。

睡眠時間はというと、きちんと7時間半はキープしています。
これは以前と変わらないです。

広告マン時代は2.3時間睡眠が続いていた時代がありましたが、睡眠時間を削れば成績が上がるかというとそうではなく、逆にマイナスになって降格・転勤の憂き目に会いました。
この会社員時代の辛いストーリーは下記をお読みください。

●君たちはどう生かすか

休みが増えたので、空いた時間に仕事をする。
こんな選択肢もありますが、それだと今までとあまり変わらないかな、と思います。

私はアイドリングタイムと言って、空いた時間に仕事以外のことをするのがいいと思います。
つまり日常の仕事の延長ではなく、未来への投資として有効に時間を活用するというやり方です。

売場塾卒業生は実に勤勉な方が多くて、アイドリングタイムを利用して資格の勉強をしたり、本を書いたり、コンサートをしたり、旅行をしたりという方が多いです。
そのおかげで個性が磨かれ、人間性が厚くなりユニークな存在になっている方がいます。

もちろん副業も流行っている人もいますが、それはいつもの仕事ではなく自分の才能を試すという体験のようなもので、これも未来への投資だと思います。

5.一日の生活時間はどう変わったか

最後に一日の労働時間はどう変わったか?について話します。

ズバリ、1日8時間の労働時間になりました。
実はこれ自体はあまり変わりません。

「えー、会社やっているのに1日8時間しか働いていないの?」
と皆さんは驚くかもしれないのですが、そうです。

主な日課は下記の通りです。

  • 09:00 起床
  • 10:00 仕事開始 (テレワーク)
  • 12:00 昼休憩
  • 13:00 仕事再開
  • 18:00 夕食
  • 18:30 英語
  • 21:00 風呂
  • 23:00 仕事
  • 01:30 就寝

というような感じ。
なんだか雑誌社のような勤務時間です。

これをここ2週間下記に改めました。
実験的に早く寝る朝型にしました。

  • 08:00 起床
  • 09:00 仕事開始 (テレワーク)
  • 12:00 昼休憩
  • 13:00 仕事再開
  • 18:00 夕食
  • 18:30 英語
  • 21:00 風呂
  • 24:00 就寝

この生活の利点はというと、風呂に入ったらあとは寝るだけ。
たまたま風呂上りはオリンピックやっていたからかもしれませんが、いい生活していると思いました。(笑)

ただ、毎週筋トレやジョギングを仕事時間内にやっているので、その日は実質7時間から6.5時間しか働いていません。

もちろん、これはクライアントとの打ち合わせや研修・セミナーがない日の日課です。
ほとんどテレワークしていて銀座のオフィスに行っている回数は少ないです。

ちなみにどんな忙しい日でもここ数年は睡眠時間7時間を切ったことはないです。
必死に夜も寝ないで働く、というのは時代に合わなくなっていると思います。

私の座右の銘は昔から「仕事より健康」優先です。
体を壊すまで仕事しないのが現代人の務めだと思います。

とまあ、ここまで書いて最後にオチです。
最近胃を壊し、アルコールやお菓子を控えています。
はっきり言って食べ過ぎ・飲みすぎでした。。。。
休日が増えたおかげで、量が増えてしまいました。

みなさん、時間に余裕があるからと言って飲み過ぎに注意してくださいね。
テレワークの方は特に注意しましょう~。

また、働き方改革のことは、毎月開催している「VMDインストラクターで起業・副業相談会」でも相談できます
VMDの仕事しているけど、なんか空回りしていると思う方、VMDで効率的に仕事したい方など、ぜひ相談に来てくださいね。
オンラインでもやっています。無料です。(^^)

●VMDインストラクターで起業・副業相談会

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)