きゃー!!な話と売場塾

0.プロローグ

週休3日制にしてもうすぐ1年が経ちます。
●働き方改革で週休3日制にしてみたら

今のところ、業務に支障は全く問題ないです。
というか、当社売上も倍増し効率よく回っています。
独自の「モジュール業務改革」が功を奏しています。
この経営の仕方はいずれブログに書きますね。

プライベートなことを言うと、温泉旅行はよく行くようになりました。
そしておもしろい体験もしてみました。

この間、新聞チラシに入っていた格安の温泉旅行に行ってきました。
広告で格安と謳っている旅行とはどんなものか実験的に行ってきました。

すると、「きゃあーーー」というような宿でした。
やっぱり安いだけのことはあるね、ということがわかりました。

今回はそこから売場塾経営へと話をつなげます。(^^)
さて、はじまりはじまり~。

1.新聞折込の格安ツアーにノッてみた

毎日、新聞をじっくり読んでいます。
コロナ禍の頃から折込チラシをよく見るようになりました。
多角経営を考えているので何かヒントはないかな~とチラシから広報・タウン誌の類も見ています。

コロナ後、旅行代理店のチラシが毎週のように入ってきます。
「1泊7,500円でバイキング付き・酒も飲み放題付」というチラシは毎週のように見かけています。

いつもホテルや宿は間違いのないブランドを選んでいて、特に海外旅行は100%JTBのパックツアー。
安心・安全な快適旅行を心がけています。

しかし、その時ばかりは「こういう安いツアーってどんなものだろう」と実験的に予約したのです。
これも週休3日制という「余裕」が生まれたおかげです。
例えばこの春は「ハトバスツアーで東京タワー」というのに予約して乗ってみました。
未知の体験ってホントいいもんですね。(^^)

話を戻して今年9月、チラシのおススメする温泉パック宿に泊まってみました。
そこから「きゃー!!」が始まったのでした。

※ちなみに冒頭のチラシはイメージです。
その旅行パックのチラシではないので注意ください。

2.きゃーその1

サフィール踊り子号に乗っていざ旅館に。

旅館につきました。
和風の庭園が広がっていました。
「うん、悪くない」

そして、部屋に着いた時、やけに暗いのに気がつきました。
「3時なのに暗いな」

広縁から外を見てみます。
「1階なのに外がない!」

そう、広縁から外の景色は見えませんでした。
なぜなら外は衝立で覆われており、日の光がほとんど入ってこないからです。

暗闇の中に木風呂が怪しく光っていました。

「うーん、暗い・・・」
気分が晴れ晴れしないので、JBLのスピーカーでジャズをかけたかったのです、が持ってくるのを忘れました・・・。
仕方がないので、スマホの小さなスピーカーからソニーロリンズの音を絞り出しました。

日中ならアールクルーの心地よいストリングの音を出すべきなのですが、まるで夜みたいなのでテナーサックスの曲にするしかありませんでした。

荷物を入れようとした部屋のキャビネットもボロボロ・・・。

翌朝も当然部屋は暗かったので、今度はマイルスデイビスを流しました。
朝なのに夜のような暗さに、マイルスデイビスの「So What」は合っていました。
この曲名、日本語にすると「だから何だ」。
なんか暗示してますね。(^^)

3.きゃー、その2

1日目の夜、木風呂に入っていると、連れが「きゃーー」と金切声を上げます。
大きいイエグモが広縁に出たのでした。

虫が大嫌いな私の妻は、以前会社に「虫を取って」と私に電話をかけてきました。
私は勤務中だというのに、わざわざ家に戻って窓にくっついている小さいヤモリを取ったのを覚えています。

この時も同様で、風呂につかったばかりなのに裸でクモを捕まえなければなりません。
イエグモに対して心やさしい私はいつも手で捕まえて外に逃がしているんですが、この時ばかりは苦心し、冷蔵庫の後ろに逃がしてしまいました。

「出てくるまで待とう」と言いましたが、妻は「待てない」とのことでした。
仕方がないので、ハンガーを使ってガシャガシャ冷蔵庫の後ろを探りました。

しばらくするとクモは出てきました。
「きゃーーーーー」
と、同時に妻の格段と高い金切声!
それを聞いて失敗は許されないと思い、この時ばかりはハンガーで一刀両断にしてしまいした。
クモさんごめんなさい。

その夜彼女は、2匹目・3匹が出て来やしないか、ずっとハラハラしていました。
私と言えば、部屋の暖房が強すぎて暑くてグッスリ眠れませんでした。

4.失敗もたまにはいい?

ということで、「チラシの格安ツアーに参加するとどうなるか」を実体験できました。
思った通りでしたが、案外楽しかったです。

言葉は悪いがおとりっぽい広告と知りつつもあえてやってみる。
そんなわけで失敗も予想でき、なんかおもしろかったです。
もちろん、エステや不動産みたいなおとり広告はあぶないけど、このくらいは許容範囲です。

私は広告代理店20年勤めていたので、こういうおとりっぽい広告は慣れています。
実は苦い経験があるんです。その話をしまょう。

新卒で広告代理店に入社したその月、初めて新聞広告をつくりました。
それは入社した会社がよく接待で使っている和食亭「南町大名」(仮称)の広告でした。

そのお店は、伊勢海老の天ぷらが名物でした。
当然ぷりっぷりの海老を広告のアイキャッチとし、「初日は1,000円で提供」のコピーを広告上段にでかでかと入れました。

新聞広告が出たその日はちょうど初任給の日でした。
今でこそ銀行振り込みが主流ですが、昭和時代当時は現金封筒渡し。

10万円が入った封筒は心地よく、さっそく新社会人の同僚に「伊勢海老食べに行こう!」と誘います。
何せ、1匹1,000円。お酒を頼んだとしても5,000円で済むだろう・・・と思いました。
みんな嬉々として伊勢海老料理を平らげました。

そして「お勘定~」
出て来た伝票にみんなびっくり。

伊勢海老の単価が6,000円になっていました。
「なんで・・・」
目が点になりました。

レジ前には自らが作った広告のおとりに引っかかってしまった、あわれな新入社員がいました。
会社幹部の大事なクライアントでもあるのでクレームが言えませんでした。

旅館の失敗はおもしろかったんですが、この失敗はよくなかったです。
おかげで全員初任給はスッカラカンになりました。

5.売場塾開設時のこと

おとり広告と言えば、美容外科、各種教室、株式投資、不動産、キッチン用品などいろいろありますね。
以前私も、英会話教材販売の方から執拗に迫られたことがあります。

英会話学校にかなりの額を投資している私は、JTBのような大手学校ブランドを選ぶ傾向がありました。
それは安心だからです。

しかしながら、雑居ビル・マンションでやっている英会話教室もかなりあります。
この間、フリースペースで使用した銀座の古いマンションビルにも、自営で行っていそうなエステや不動産屋、アクセ教室などが入居していました。

大手と比べるとちょっと不安。
ドアを開けるのも勇気がいります。

しかし、金のない大学時代は、こういう雑居ビル・マンションに入っている英会話喫茶に通学していました。
最初は入るのに勇気がいりましたが、いざ入った後はまったく問題ありませんでした。
まじめな社会人の生徒が多く、毎回楽しく学習ができました。

実は、売場塾も最初はそうでした。
19年前、三田の中古マンションの地下から始まりました。

上の写真が地下の会議室です。
売場塾は最初は少人数でしたので、ここで始めました。
2006年のことです。

この写真を見ると雰囲気はいいんですが、なにせ中古マンションの地下。
外から地下に入るので雰囲気は暗かったです。
秘密のアジトに入るような感じでした。

ここで売場塾説明会も行っていました。
夜の説明会もあったので、あたりは暗くなり入るのに勇気がいるような雰囲気でした。

そこで、私はいつもマンションのエンタランスで説明会参加者を待待つようにしました。
ホテルのベルボーイみたいにエスコートすることにしました。
「売場塾」のサインを掲げて待っていて、参加者そうな人に声をかけていたのです。

地下はともかく、エンタランスの雰囲気は悪くなかったです。
受付カウンターがあるのが救いでした。
また、社名プレートがたくさんインフォメーションボードにディスプレイされているので、ビジネスビルみたいでオシャレでした。

そんなことで、オーバルリンクという会社を作つくって3年目開始した売場塾事業は、予算もなにもないところから始まりました。

当時からほぼ100%インターネットで生徒募集していたため、おとり広告のように「だまされた!」と説明会参加者や受講生に思われてはいけません。
とにかく不安を抱かせないように、明るく親切丁寧に接客していました。
地下にお通しする時、よく言っていたセリフが「虎の穴へようこそ~」でした。
タイガーマスク知らない世代には通用しないとは思いましたが、洒落としてはウケました。(笑)

売場塾初期はこんな感じでした。
三田時代に売場塾にお越しになった説明会参加者の皆さん、売場塾生の皆さん、大変感謝します。

今はこんなビルで説明会をやっています。
銀座一等地のビルの広いエンタランス。
最上階のアントレサロンというスペースでやっています。

こんな感じで会場も広ぴーろ。
地下と違い、「閉じ込められて逃げられない」というイメージはまったくありません。(^^)

ひとけは常時ありますので、夜でも昼でも安心して気軽に相談できます。
説明会、いつでもお越しください~。

●売場塾&VMDインストラクター説明会

ということで、商空間スタイリスト認定講師の皆さん、初めて開設するVMD教室は雑居ビルでもマンションの一室でも、コストをかけずにスタートしましょう。
恥じることは何もないです。

かの旅行会社HISも渋谷の雑居ビルの小さい部屋から始まりました。
期待を胸に来年も邁進してまいりましょう~。

ホームページのデザインが立派で、説明会参加者が現地に来てがっくりしても、それは「おとり広告」ではないです。
ためになる楽しいレッスンを通じて、「このスクールに来てよかった」と受講生に思わせましょう!

当社のディスプレイ教室「商空間スタイリスト講座」の認定講師の方は、雑居ビルやマンション1室から始める方もいます。
これからもがんばりましょう~!

なお、「商空間スタイリスト講座」認定講師になりたい方はオンラインで説明会を開いていますのでいつでもご参加下さい。
無料です。

●商空間スタイリスト講座 開業説明会

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

マーケティング戦略で売れるVMD本を出版しよう

VMDの教科書

今日は本の出版の仕方についてお話しします。
単なる本の出し方ではなくて、あなた個人や会社のビジネス戦略としてどう本を企画するか?についてお話しします。

起業した方なら誰しも「本を出したい」と思ったはずです。
売場塾生も個人として、会社として本を出版している方がいます。
それはこの間のブログでも紹介しました。
●VMDインストラクターの書いた本

私自身も本を出版していて市販本は3冊、自費出版1冊になります。
私の場合、売場塾をやっているので圧倒的にテキストが多くてこちらは9冊。
こちらはこの19年途切れることなく改訂し、出版し続けています

0.本を出す目的と手順

まず本を出したい方は目的を明確にした方がよいです。
単に本を出したいなら自費出版で十分だと思います。

以前ある出版社の自費出版説明会に行ったことがあるんですが、参加者は熱気むんむん、すぐに出版したいという方が多く集まっていました。
占い本を出したい人、旅行記を出したい人など、いろいろな方がいて、次々に出版社と契約されていました。

自費出版というものの、書店の流通に載り小売店に自分の本が置かれ、国立国会図書館にて永遠に保存されるという特典付きです。

ただ、ほとんどの方が、本で儲けるというよりは自分の証を世に出してみたいという動機が多いような感じがしました。
難しいイラストや写真などがないテキストだけの本なら100万円台で出版出来るということで、本を出したい人の夢をかなえてくれる、そんな出版社のシステムでした。

こんなわけで、単純に「本を出す」という既成事実を作りたい方ならこれで十分。
自費出版と言わなければ、「著名な出版社から本を出した!!」ということになるので、人に誇れます。

しかし、自費出版会社も今や大なり小なり出現しているので油断は禁物、準備金や制作費まで取る出版社もあって最終的には高くなる危険性もあります。
そこは十分気をつけてください。

VMD本企画書表紙

さて、今回は私の本「展示と陳列の法則」を題材にして、本の出版をどのように進めたらいいか、手順をお教えします。

  1. 出版社に企画を持ち込む
  2. 競合本を研究する・・・「企画の前提」
  3. コンセプトを決める・・・「本書の内容」
  4. 読者モデルを決める・・・「本の対象」
  5. ポジショニングを決める・・・「ターゲット別シリーズ企画」
  6. コンテンツを決める・・・「構成案」
  7. コンテンツを作る・・・「体裁と要望」
  8. 出版社に入稿する

実はこの順番、書籍企画書を出版社にプレゼンした企画書のページタイトルに準じています。(上の写真は企画書の表紙です)
この項目を見てあなたは「なんか、マーケティングみたい」と思ったことでしょう。
そう、本を出版することはまさにマーケティングなんです。

ほとんどの方が「本を出したい」と思っても、あまり企画を錬らずに出版しているのではないでしょうか。
そして出したことに満足して、ホームページやSNSで紹介しそれで終わり、なんて感じになっていると思います。

それではもったいない。
本を出すことは、下記の効果があるんです。

  • 会社や自分の広報になる
  • 商品やサービスのPRになる
  • 本が商品になる
  • 本が広告媒体になる
  • 本が論文発表の場になる

本を出す前に、これらを念頭に入れてじっくり企画を練りましょう。
そうすれば、「出して終わり」にならずに上記の効果を十二分に獲得できます。

それでは前述の手順通りに解説していきます。

1.出版社に企画を持ち込む

上記手順1~7のタイトルで構成された28ページの企画書を持って、出版社に提案しました。
出版社の選定について、私の場合は知り合いを通じましたが、好きな出版社に飛び込みでもいいと思います。
電話でアポを取ったり、事前に企画書をメール添付するなどしましょう。
私の場合は前職が広告代理店でしたので、出版社に知り合いがある程度いました。
なので、企画書を提案するのは数社に絞り、最後に1社に決めたのでした。

出版社で企画書の説明をした後、編集者からいい返事をもらいました。
出版はすぐに決まりました。
大手出版社の場合、出版の可否は社内稟議になるので、やっぱり精度の高い企画書は作った方がよいです。

2.競合本を研究する・・・「企画の前提」

VMD本「企画の前提」

本を作るにあたって、現状でどんなVMD本が書店やアマゾンで販売されているか調査しました。
普段からVMD本はくまなく読んでいましたので、どの本もだいたい内容は分かっていました。
出版社も「売場づくり」や「ビジュアルマーチャンダイジング」などのキーワードで市場調査してくれるので、だいぶ市場が掴めました。
それには各VMD本の読者モデル別・月別売上推移が提示されているので、どのジャンルの本がどの読者に好まれているかがわかりました。

また、大手書店に行き、どの分類の書棚にどのVMD本が並んでいるか探ってみました。
その結果は、上記の1ページに組み込みました。

VMD本はだいたい次の2つに分類されていました。

●お店・売場づくりの本
  ・・・経営・マーケ・流通業の棚に多く、テキスト中心のカタイ本
●ディスプレイ・VMDの本
  ・・・VMDといってもほとんどディスプレイの本でファッション・趣味的な本

この2つの中間が狙い目だな、と思いました。
そして出す本を下記のように定義しました。

高級店ではない、スーパーや商店のような
 普通の店の売場づくりをオシャレに恰好よく
 アート的に教える本は皆無です。
 当本は、アート・デザインとビジネスの中間
 を行く、新ジャンルの売場づくりの本です。」

つまり、小売りの売上を上げるのが目的のカタイ実務本ではなくて、ビジネス・ノウハウと、アート・スキルを兼ね備えたマルチな書籍を目指しました。

3.コンセプトを決める・・・「企画主旨」「本の内容」

VMD本「企画主旨」

上のページを見てください。
本を出す目的をコンパクトにまとめました。

企画意図)
「売場塾」を本にしたい
企画の背景)
「VMD」はオシャレな職業となりつつある

この企画書って、東日本大震災前に提案した2010年当時でした。
そのころの売場塾生はまだ150名。
今でこそ1,000名近くいるんですが、当時は今の15%。
当然、この本は売場塾のPRのために出しました。

単純な売場塾PRでなく、下記の目的もありました。

  • 会社や自分の広報にする
  • 商品やサービスのPRにする
  • 本自体を商品にする

そこで、切り口を下記のようにしました。

MD本「本書の内容」

そう、VMDインストラクターが教える「VMDの教科書」にしたんです。
つまり、売場塾の卒業生はこの時点で150名しかいないけれど、優秀なブランドのVMD担当が多いので、私というよりも卒業生を取材して売場づくりを語ってもらう本にしました。
シャルマンやエミスフェール、ダッドウエイやダーバンといったブランドVMD担当に協力いただき、たくさんの売場・ディスプレイ写真と共に売場づくりのノウハウを教える教科書としました。

編集者のイメージが湧きやすいように、帯広告のキャッチフレーズを企画書ページに入れました。

それには

「売れる売場をつくり続けているプロ(VMDインストラクター)が教えるVMDの教科書」

とあります。

これがまさに本のコンセプトでした。
最終的にこれらキャッチフレーズをまとめた表紙は下写真のようになりました。

VMD本の表紙

4.読者モデルを決める・・・「本の対象」

VMD本読者モデル

誰を読者にするか?
これは本を出す上でけっこう大事なことです。

皆さんは本を書く時、漠然と「売場づくりに興味がある人」「店員さん」「小売店」などと、対象をしっかり絞らずに内容決めていませんか。

VMDの本を出すから小売店の人、というのはあまりにも対象範囲が広すぎます。

本屋でどの棚に置いてほしいか?そこにはどんな人が来てほしいのか?
アマゾンでは、どのジャンルやページに掲載されるべきか?

を想定しないといけません。

つまり、読者モデルです。
最初、私は上記の企画書ページのように読者モデルを考えました。
それは、小売店、VMD担当者という軸ではありませんでした。

  • ホワイトカラー自分磨き社員
  • ライセンス・カルチャー女性
  • 売上一直線現場販売員
  • こじゃれた店大好き買い物女性

このポジショニングマトリクスを作って、「こじゃれた店大好き買い物女性」以外をターゲットとしました。
「こじゃれた店大好き買い物女性」だと一般女性になってしまい、VMD学校・売場塾とは、ほど遠い縁だと思ったからです。

また、よく考えると「売上一直線現場販売員」も本のコンセプトに合わないと思いました。
前述の通り、売上を上げるのが目的のカタイ実務本ではなくて、ビジネス・ノウハウと、アート・スキルを兼ね備えたマルチな書籍を目指していたからです。

そこで、2次元マトリクスをこのように変えました。

VMD本読者モデル2
  • ホワイトカラー自分磨き社員
  • ヒューマンアカデミー・カルチャー女性

ヒューマンアカデミーというのは、カルチャーセンターというよりも社会人向け各種学校で、読売カルチャーとかNHKカルチャーと違い、深く学びスペシャリストになりたい女性が行く学校です。
なので、少し企画書にその名前を借りました。

こんな感じで対象を絞ってください。
すると、ページ構成やデザインなどのコンテンツの方向性がおのずと出てきます。

5.ポジショニングを決める・・・「ターゲット別シリーズ企画」

VMD本ターゲット別シリーズ企画

次にどんな業界をターゲットにコンテンツを考えるか?をマトリクスに示しました。
やっぱり最初は(1)の「女性」「百貨店・専門店」にしました。
スーパーマーケットやコンビニも流通業界の雄だけど、最初に出すVMD本はやはり百貨店や専門店の売場やディスプレイの方がウケる、と思いました。

確かに売場塾の授業やテキストは、その業界以外にスーパーゃホームセンター、家電量販店、自動車用品店やコンビニなど、業種・業態・取扱商品問わないオムニバスなコンテンツなんですが、企画する本は「アート・デザイン的」という方向性を持っているので、やはり華やかな店の方がよいと思ったわけです。

コンビニやスーパーの方、大変申し訳ありません。
貴社の売場がアート敵ではない、というわけではありませんので、誤解しないでください。

なので、掲載対象にした店はこのように、ブランドショップ、セレクトショップ、百貨店内専門店、になった次第です。

VMDの教科書

さて、上記企画ページを見てお気づきの方は、この企画、シリーズ展開を狙っていることが分かったと思います。(^^)

6.コンテンツを決める・・・「構成案」

次はいよいよ構成案です。
その前にもう一度、コンセプトを整理しましょう。

「当本は、アート・デザインとビジネスの中間を行く、新ジャンルの売場づくりの本」「売れる売場をつくり続けているプロ(VMDインストラクター)が教えるVMDの教科書」

これがコンテンツ全体を覆うフィルターになっています。
冒頭の「快場の章」はまさに当社が目指す売場のあるべき姿。
心地よい売場「快場」とは何かについて語りました。

「陳列の章」と「展示の章」は、大いに売場塾生に協力いただき、売場塾生のブランドショップを取材して、彼ら彼女らのVMDを写真で紹介。
どのように日ごろ売場づくりをしているか語っていただきました。

「ディスプレイの章」は企画書の時点ではあったんですが、陳列と展示とダブるのでやめました。

そして「あなたもVMDインストラクターになれる!」の章では、売場でなくVMDインストラクターその人を取材しました。
売場塾生の皆さん、取材協力ありがとうございました。

7.コンテンツを作る・・・「体裁と要望」

VMD本のページ体裁

具体的にイラストレーターでページをつくってみました。
本のサイズはA4版と大きめのページにしました。
売場写真をふんだんに、なるべく大きく使いたいからです。

この本、VMDのレッスン本という体裁で全部で19レッスンつくりました。
1レッスン4ページとし、最初の見開きが「基本編」、次の見開きを「応用編」としました。
基本編は、売場塾の名物となっているコップ・ワークショップを紹介しました。
コップを使って陳列や展示をつくるというシンプルな表現を採用しました。
コップは、色・柄・サイズ・素材・用途・年齢・季節などいろいろなMD分類要素があるので、万能のVMD教材なんです。
このノウハウを惜しげもなく提供しました。

このページは売場塾の普段やっているワークショップの一部も垣間見えるので、学校のPRにもなりました。
そして売場塾生の所属している会社16社をリストアップして、「基本編」のコップのワークショップで培ったスキルが売場でどのように生かされているか、丁寧に取材し写真をたっぷり使い「応用編」として紹介しました。

企画意図)
「売場塾」を本にしたい
企画の背景)
「VMD」はオシャレな職業となりつつある

つまり前述のこれを具現化したわけです。

8.出版社に入稿する

こんな感じで企画しを練って1年かけて作りました。
とても大変でした。。。。

文章を書くだけならまだいいんですが、

  • カメラマン
  • デザイナー
  • インタビュアー
  • プロモーター

と、すべて1人でやりました。
取材するVMDインストラクターは大手ブランドに所属している人が多いので、まず広報部を通さなければいけません。
その交渉と打合せが大半のページに必要で、本の制作で一番時間がかかりました。

また、本の基本デザインや写真レイアウトも自分で作りました。
広告代理店時代からトコトンやらないと気が済まない性格がよけいな労力を生みました。(笑)

ですので、ページ入稿はすべてイラストレーター、写真のトリミングもフォトショップで調整して入稿しました。
カメラマンもしたので、撮影用にオリンパス一眼レフカメラも買いました。

取材先各社の広報部とやりとりする、取材・写真・本文・色校・ゲラは、私の広告代理店時代を思い出させました。
いい作品を残したいという構えは、起業してからも同じでした。

広告代理店時代のエピソードは下記を読んでください。
●好きなことを仕事にするには

9.本でどんな恩恵を受けたか

VMD本キャンペーンによる売場塾推移

そんなことで本は全国で売り出されました。
結果、下記の目的は「本が広告媒体になる」以外は達成しました。

  • 会社や自分の広報になる
  • 商品やサービスのPRになる
  • 本が商品になる
  • 本が広告媒体になる
  • 本が論文発表の場になる

初回4,500部出版しましたが、2年くらいで売り切れました。
「本が商品になる」機会が多く、1/3は大手ブランドの研修本として売れました。
コンセプトが「VMDの教科書」ということもあり、VMD研修のテキストとして、社員の教養本としてお買い上げいただくケースが続出しました。

この本から売場塾を知り、入学いただく方も多かったです。
売場塾卒業生で起業している方は、自分のセミナーのテキストとして使っていただく方もいました。

上記のグラフは売場塾のコース別生徒数推移です。
緑線がVMD基本コースです。
売場塾サービスが認知され、急激に上昇しているのがわかります。

皆様、大変ありがとうございました。
そして、そして取材に応じていただいたVMDインストラクターに大変感謝します。
クライアントの皆様にもお時間を取っていただいたり、広報へつなげていただいたりと骨を折っていただき厚く御礼申し上げます。

やがてこの本は海外からも出版オファーが入り、中国語に翻訳され、海外出版されました。(下写真)

10.後日談

「シリーズでやっていこう」と意気込んだ私でしたが、あまりにも制作が過酷だったため、2シリーズ目はトーンダウン。。。
とりあえず翌年もう1冊、別の出版社から「商品陳列 最強のルール」を出して、執筆はビジネス誌に戻りました。

最初の本はあまりにも手を入れ過ぎました。。。
通常業務が忙しくなったのもビジネス誌にシフトした理由の一つです。
ビジネス誌執筆は本と違いページ少ないので・・・。

そして今は出版社に頼らない自費出版にシフトしています。
これもなかなかよいですよ。(^^)
自分で製本する自費出版の出し方に関しましては、またの機会にお話ししようと思っています。

ちなみに下記が昨年出した自費出版本です。

●商空間ディスプレイ教本

なお、「陳列と展示の法則」は今は絶版になってしまいましたがアマゾンでは中古で手に入ります。
こちらのリンクから探ってみてください。
●魅せて・買わせる 陳列と展示の法則

ということで、VMDプロの皆さん、本の出し方分かりましたでしょうか。
ぜひ、マーケティング戦略をしっかり立てて出版してくださいね。
すると、自分や自分の会社にプラスになること間違いなしです。
新しい本出したら教えてください~。

最後に、印税がどのくらいあったかお教えします。
印税10%として1,600円の本は160円、×4,500部なので72万なんです。
印税だけで儲けようと思ったら、5万部は最低売れないとダメです。

なので、本を出すのは広告・販促の一種だと思ってください。(^^)

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

プチコンサルで売れる営業をしよう

プレゼンする女子社員

今回はプチコンサルになるためのノーハウをお話しします。
売上をアップさせたい営業や販売の方、起業してクライアントをゲットしたい方にうってつけです。

1.プチコンサルで他社と差別化する

私はもともと広告代理店の営業でした。
当ブログで語ってきたとおり、まったくの新規開拓営業マンで飛び込み専門でした。
VMDの会社を起業した22年前もほぼ飛び込みで新規クライアントから仕事をいただいていました。

その頃の様子は下記ブログ参照ください。
●VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)専門会社をつくったワケ

さて、静岡の広告代理店に在籍していた私の売り物は「静岡新聞」と「SBS」がメインでした。
当時はマス媒体といって、テレビ・ラジオ・新聞がローカル広告代理店の売り物で、静岡県世帯普及率60%の静岡新聞と、静岡新聞が運営するSBSテレビ・ラジオをどこの代理店も売っていました。

売り物は、どこの広告会社も同じ。
こうなってくると、何か差別化しなければ新規開拓はできません。
他人と同じものを売っても、顧客に違いはわからないからです。
当然、競合広告会社と価格競争になり、20%しかないマージンをどんどん減らす消耗戦が繰り広げられていました。

それを避ける方法の一つに「差別化された商品やサービスを開発する」があり、それは別のブログで詳しく語りました。

●ネーミングによるブランド戦略
●マーケティングしなきゃ会社は始まらない

今回は、フツーの営業がフツーに飛び込みして、どのように他社と差別化を図り顧客をゲットできたのか、そのノウハウを違う角度から話します。

それはズバリ、プチコンサルタントになることでした。

2.顧客は情報が欲しい

「静岡新聞の広告どうですか」
「SBSラジオスポットの提供枠が空いているのでどうですか」

こんな営業をしたところで顧客はゲットできませんでした。
まったく飛び込み経験のない上役は「100軒飛び込みすれば、いつかは当たる」などと部下にハッパを掛けます。

これは今あなたがVMDを売り込むときに

「VMDいかがですか?アパレルはみんなやってます」
「VMDを導入すれば売場カッコよくなりますよ」

と言っているのと同じで、まったく説得力がありません。

広告マンである私はどうしたかというと、毎回飛び込み先に情報を持って行ったのです。
それは自家製「ホワイトペーパー」(ホワイトペーパーとは広報誌のこと)でした。

当時も今も、新聞やビジネス誌から為になる記事を片っ端からスクラップしていた私は、その中から顧客が喜びそうな部分をコピーして持って行きました。
そして、世の中のトレンドや話題をお話ししていました。

ただそれだけでした。
それだけで門前払いになる確率は減りました。
中には応接間に通していただき、じっくり話を聴く社長もいました。
毎回、広告勧誘の話は一切せず、ビジネス的な世間話をして帰っていくだけです。

しかし、それを続けていくとやがて小さい仕事が入りだしてきました。
1年も経つと小さい仕事がだんだん大きくなり、売上は上がっていきました。

「クライアントって、ちょっとした情報に喜んでくれるんだな」
と思い、それがどんなクライアントに対しても習慣になりました。

「東京のトレンディな店舗デザインを知りたい」
というクライアントがあれば、1日かけて渋谷や原宿にいき、店舗の写真を撮って差し上げました。

「商店街の活性化になんか方法はあるんだろうか」
というクライアントがあれば、両国国技館の商店街に行き、レポートを提出しました。

昭和の当時は、情報と言えば新聞や雑誌でしたので、トレンドはそこで掴んでいろいろと研究していました。
「スタバが日本に上陸した」とか「マツキヨが女子高生に流行っている」と聞けば、実際に現地に行っていました。

やがて別の広告会社に転職した時、私の情報量は上がりました。
会社は「日経テレコン」と「ビデオリサーチ・ダイジェスト」の会員でした。
好きに読み放題、データ使い放題になったのです。

●日経テレコン
欲しい情報のキーワードを入力すれば、それに見合う新聞記事をFAXで届けてくれるシステム。
今はオンラインになっている。

●ビデオリサーチ・ダイジェスト
ビデオリサーチとは、テレビやラジオの視聴率を調査している会社。
そこの月刊誌で、マス・OOHメディアの調査情報に長けているところが特長。

ここからも広告主が欲しい情報をピックアップし、チャート図を作って発表していました。
例えば、お茶のメーカーなら最新ドリンクのトレンドや、専門学校なら最近のカルチャー傾向やイチゴ世代のライフスタイル特性など。
(イチゴは今でいうとZ世代)

こうした何気ない日常の情報渡しが、顧客のパイプを太くしていくのでした。
中でもおもしろい話があります。

どこかの英会話学校を顧客にしようと、ベルリッツやらECCに営業で飛び込んでいたことがありました。
静岡に大手の英会話学校がたくさん進出していたころの話です。

各校に飛び込みをすると、広告担当が知りたいのは競合校の情報でした。
当時は「ケイコとマナブ」もないし、インターネットもありません。
私ができたことは客のフリして各校を周り、パンフやヒヤリングをしながら、競校の特徴一覧表を作り、狙った英会話学校に提出することでした。

その情報は重宝され、やがて1校から全面的に広告をもらうようになりました。
別のブログでも述べましたが、その後「マナ坊」という学校キャンペーンを企画展開して、英会話だけでなくほとんど著名な静岡内の各種学校の広告を一手に引き受けるようになりました。

こうして情報が私の強力な新規開拓営業のツールになったのでした。

3.顧客はアイデアが欲しい

もちろん、情報をただ持って行っただけでは単なる運び屋になり、それだけでは、他社から広告を切り替えてもらえません。
話はおもしろくてタメになるんだけど、広告代理店は替えない(というか、しがらみがあって簡単に替えられない)という顧客が多々ありました。

やはり決め手になったのは、プレゼンだったんです。
せっせと企画書を書いてプレゼンし、広告を競合から奪取するという派手なことをしていました。

決め手となった企画書は、ほとんど広告企画書ではありませんでした。
企画書の内容は下記だったんです。

・商品開発
・ブランディング
・ターゲッティング
・コンセプトメイキング

など、静岡新聞やSBSなどメディアを売り込む企画と全く違う経営戦略的な企画でした。

実際、お茶や釣り具メーカーに関しては、商品全体のカテゴリー整理と商品ブランディング、専門学校に関してはコンセプトメイキング、英会話学校に関しては講座開発などを行い、プチコンサルするような形で社長や専務など上層部を巻き込んでいったのです。

広告主、特に経営者は「うちの広告を安く出してくれる広告会社がほしい」わけではなかったんです。

「いかにわが社の商品を売れるようにしてくれるか」アイデアが欲しかったんです。
広告を出すことが目的ではありませんでした。

4.顧客はドリルでなくて穴が欲しい

上記のことは、ビジネス書によく書かれている、

「顧客が欲しいのはドリルでなく、穴である」(ドラッカー)
「顧客は早い馬が欲しいのではなく、早く移動したいのである」(フォード)

と同じことです。

これは私が会社を作って自ら経営者になったことで実感しました。
例えば当社に、印刷会社や販促会社が自社商品を売り込みに来ます。

「印刷費を安くします」
「とてもいい紙を使っているんです」
「早く迅速に印刷できますよ」

などとアピールします。
非常につまらない営業をしているな、と思います。

社長である私が欲しい情報は、例えば

  • 売場塾テキストをいろんな業種・業態に合わせられる、自動製本システム
  • テキスト印刷をデジタルテキストして管理する方法
  • テキストをページごとにバラしてワークシート化する方法
  • テキストをいかに全世界に発展させられるか、の翻訳システム

などです。

つまりテキストを印刷するのではなくて、

  • テキストをどう学校以外に活用できるか?
  • 普段書いている理論をどうテキスト化するか
  • 理論を製本することによってどんなサービスが生まれるのか

が知りたいのです。
早い話、印刷することでどういう風に儲けるか?なんです。

印刷会社が印刷をアピールするのは当たり前、私たちはそれ以上の情報が欲しいのです。

5.VMDアプローチもドリルと同じ

あなたがメーカー社員で、VMDを駆使して売場を活性化したいと考えているとします。
やみくもにVMDを導入すればなんとかなる、と考えない方がいいです。
ただ「VMDを導入する」は、ドリルの法則と同じで穴になりません。

具体的に事例を上げましょう。

あなたが生八つ橋のメーカー「聖護園」の販促担当だとします。
京都のドライブインでインショップを営んでいるが、なかなか売上が上がらない。
隣の別メーカー「夕子」や「おたべ」にやられている。

たまたまVMDセミナーに行き、ディスプレイの仕方を教わりました。
でもキレイなディスプレイを売場につくっても売上は上がらないでしょう。
「キレイなディスプレイをつくる」は穴にならないからです。

もしかしたら、価格戦略が違っているかもしれないし、パッケージや商品戦略が悪いかもしれません。

なので、売場のディスプレイを改善するだけでなく、商品ブランド別くくりに編成するとか、パッケージデザインを見直すとか、低価格帯の商品を除去するとかディスプレイと平行して考えられる手段を投入するといいと思います。

もちろん、あなたは会社員なので、商品ブランド別くくりや商品戦略は商品部に相談し、パッケージデザインは宣伝部と一緒にやるべきです。
他部署を動かすには、それなりの説得材料が必要ですが、それは面倒くさがらずに行えばいいと思います。

また、あなたがVMDプロで起業して顧客を得たいならば、顧客の「してほしいこと」を具体化するといいです。
新規顧客は往々にして「VMDを取り入れたい」と言ってきますが、それに対して「VMD研修を行う」という単純な対応にせず、何を欲しているのか「穴」を見つけるといいです。

例えば、メーカー販促部から当社への問い合わせで、「テレビCMなどマス広告でブランディングしているが、売場はいつも汚いのでなんとかしたい」というのがあります。

「売場はいつも汚いのでなんとかしたい」を鵜呑みにして、「掃除・整理整頓しましょう」というVMDを提案するのはナンセンス。
たぶん、上図のように広告や広報を含めた、顧客最前線のスペースブランディングを確立したいということなので、穴は

「来店前に顧客が抱いているブランドイメージを売場でもキープしたい」
ということになり、化粧品メーカーなら、

1.売場づくりをしている美容部員のVMDリテラシー強化
2.インショップブランドとしての売場デザインの確立
3.小売店と連携した売場の場所と形態の確保

というVMDプランが成り立ち、

1.に関しては
・美容部員のVMD研修
・ブランドガイドライン作成

2.に関しては
・什器デザインとその仕様のルール
・壁面・柱オーケストレーションプラン
・POPデザインと仕様の統一

3.に関しては
・小売店へのVMD提案活動
・小売店フロア担当へのVMD勉強会の実施

みたいな仕事に発展させることができます。
もちろん、全部が全部できない、という人はそれ相応の技術ある人とコラボすればいいでしょう。
または、できない部分は提案だけしてクライアントに委ねるのもいいと思います。

6.顧客にソリューションを提供しよう

ということで、静岡県で広告マンをしていたサラリーマンの私は、ほとんど静岡新聞・SBSを売らずに、クライアントの商品開発に明け暮れていました。
売上のほとんどかパッケージ関連と専門誌への出稿だった年を重ねていました。
しかし私が通常営業の2倍は売上を上げていた理由はここにありました。

もちろん、広告主のソリューションの中に静岡新聞が入っている場合は静岡新聞に出稿していましたし、会社のノルマで静岡新聞を買い切りしていた時は、静岡新聞を売っていました。
それは組織の一員だったからです。

VMD専門のオーバルリンクを経営している今は、私のソリューションはVMDのみとなりますが、VMD以外のアドバイスはよくしています。
店名を替えたり、取扱品目を変えたり、商品デザインを見直したりするお手伝いをする時もあります。

さて、プチコンサルをするコツを下記にまとめます。

●顧客は情報を欲しがっている
どんな情報が顧客のためになるか考えてみよう。
顧客のためになる情報を携えて営業しよう。

●顧客はソリューションを求めている
VMDを提案する前に、顧客の求めている結果を考えよう。
その結果に対して何ができるのか提案してみよう。

●経営者目線でモノを考える
社長になったつもりで考えてみよう。
どうすれば商品やサービスが売れるか考えてみよう。

そして、売場塾はVMDインストラクターという資格を認定・付与していますが、もちろん受講生は「資格がほしくて売場塾に来る」だけではなく、

・VMDプロとしてで起業して成功したい
・VMDプロとして社内で活躍したい
・VMDプロとして競合に勝ちたい

という皆様のソリューションは分かっていますので、どんどんアドバイスしますよ~。(^^)
そんな人のために下記の説明会や相談会、無料でやっています。
お気軽にお越しください。

●VMDインストラクターで起業・副業相談会

●売場塾&VMDインストラクター説明会

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

好きなことを仕事にするには?

映画のパンフレット

会社員であって自分にとって好きな仕事ができる。
これってすごくいいですよね。

先月書いたブログは「いかに自分のためになる仕事をするか」、その方法を書きました。

●インストラクターって必要なの?

今回は一歩進めて「自分の好きなことを仕事にするには」についてお話しします。
いつもながら赤裸々な自分の過去を振り返ります。
昭和時代からの話だから、ビデオやスマホがまだ登場していないので、世相に注意して読んでくださいね。(^^)
では始まり、始まり~。

1.始まりは8mm映画から

富士宮市の街中で過ごした子供時代に懐かしい場所があります。
それは家の近くにある「第一劇場」という映画館でした。

小6の時にテレビで「大脱走」を見て外国映画にハマり、家から歩いて300歩くらいの劇場によく映画を見に行ってました。
その劇場は「第一劇場」といい、燃えよドラゴン、ダーティハリー、未知との遭遇などアクション、SF作品をメインに見ました。
上の写真がそれらのパンフレットです。

高校時代には映画研究同好会に入り、親の8ミリカメラを借りて映画をつくりはじめました。
映画は作るのもおもしろく、見た人が感動するのを見て、いつかこの世界に入りたいと思うようになりました。

やがて月日は経ち、大学3年になりそろそろ就職の準備をしなければ、という時期になりました。
どうやって映画会社に入れるようになるのか、考えてみました。
映画作品を作ってそれをPRしたらどうか?
とりあえず、そのような結論に至りました。

しかし8ミリ映画はフィルム代とカメラのメンテナンスにも金がかかります。
資本金も何もない私は、まず親の仕送りをすべてフィルムに回した結果、毎日インスタントラーメンの日々になりました。

まずは脚本です。
「午後の天使」という題名で警備士の老人とタレント追っかけ少女を出来事にしたシナリオを1本作り友達に回し読みしてもらいました。
しかしあまりウケません。

そこで原作を探すことにしました。
ちょうどルームメイトに作家志向の人がいて、書きおろしを読ませてもらいました。
ホラー映画とコメディが一緒になったようなストーリーでした。
「これなら低予算でできそうだ」と思い、それを脚色しシナリオの形にしてみました。

次に出演者を募りました。
「なんかおもしそう」という理由で比較的時間に余裕のある人が集まりました。
すぐに出演者は決まったものの、なかなか前に進みません。
みんなほとんど遊びで参加してくるので、時間が合わなかったり途中でアキて役を降りたりと、調整するのに苦労しました。

出来上がった20分の短編映画はかなり厳しいものになりました。
「これはとうてい見せられないかも」ということで、就職用にPRするのは諦めて次を考えることにしました。

一番ほっとしたことは、インスタントラーメン生活から逃れられることでした。

2.まずは映画やテレビの裏方をバイトしてみた

これはもう自分ひとりで作るしかないかも、と思った私はドキュメンタリー映画をつくることにしました。
これならば出演者を使わなくて済みます。

ただ、ドキュメンタリーの制作知識はないので、とりあえず映画会社とテレビ局でバイトして、業界を知ろうというということにしました。

東宝舞台という大道具制作の会社にバイトで入り、TBSの番組の大道具を作っていました。
こういう力仕事はまったく私に合っていなかったんですが、仕方がありません。
担当番組は、東芝日曜劇場、クイズダービー、2年B組仙八先生などでした。
超深夜の仕事で夜8時出社の朝6時帰りです。
昼間は大学の授業があるので寝不足の日々が続きました。

もうひとつは、映画やCMのエキストラ。
刑事映画やテレビCMの群衆の一部をやりました。

いずれにしろ分かったことは、映画やドラマは時間をかけて大人数でつくるということでした。
エキストラにしてもロケの準備が遅れて5時間待たされるのは普通。
子役が深夜でもじっと待っているのに、こちらはしびれを切らしているのが恥ずかしくなりました。

床に落ちてゴミになっているシナリオを持ち帰って勉強したり、大道具・小道具などの使い方や美術も参考になりました。
驚いたのは、現場で見ると汚い大道具もブラウン管で見るとすごくキレイに見えるということでした。

シナリオで驚いたのは、ベストテンみたいな歌の番組でも司会のアドリブまで事細かに書かれていたということでした。
もちろんそのまま読んでいるとは思いませんでしたが、どの番組でもセリフがかなり作りこまれていました。

3.竹の子族のドキュメンタリー映画を作ってみた

そんなことで、バイトの日々は過ぎていき、何を題材にドキュメンタリーをつくるかシナリオ作成段階まで行きました。
その時点で大学4年生になっていたので、あと就職解禁まで半年しかありません。
(当時は大学4年生の10月が解禁日でした)

当時、原宿では竹の子族が流行っていたのでこれを取材することにしました。
竹の子族とは、ホコ天の竹下通りでグループで踊りを踊る人たちのことです。
ロックンロールなティーンの集まりでした。

まず親戚の高校生のつてを頼って、竹の子族に潜入レポすることにしました。
ソニーのカセットテープレコーダーと8mmカメラを抱えて現地に行きます。
踊りの輪に入りながら撮影していきます。
それが終わったらインタビューという日々を繰り返していきました。

台風が接近していたある日のこと。
さすがに踊っていた人いないだろうな、と思い現地に行ったところ、ズブ濡れになりながら踊っているツワモノがいました。
濡れているのでややシースルーになり、撮影をためらいましたが背中ならいい、ということになり無事撮影を終えました。

「こういう行動って、外国人はどう思っているのだろう?」と思い、当時通っていた英会話学校の外国人講師にインタビューしたりもしました。
「日本人は個性を発揮しようと思ってやっているだろうが、みんなやりだしてからはそれが没個性になってしまっている」という手厳しい評価でした。

取材したフィルムを切り張りして、それにナレーション・BGを加えて完成です。
友達何人かに見せましたが、好評でした。

3.就職に足りないのはコネだった

その後、就職シーズになり、映画会社やテレビ局を受けます。
結果はどうだったか?
ゼロでした。。。

当時は就職冬の時代で映画会社自体、募集をしていませんでした。
テレビ局に関してはバイトをしたくらいでは何のアドバンテージにもならないこともわかりました。

そして、ドキュメンタリー映画はどうなったか?
「映画を見るにはかんべんしてください」という面接官が多く、20分物のフィルムを見る余裕はない、という理由でことごとく却下されました。
一日何百人もの面接がある人事部にはそんな余裕はないということがわかったのです。

「テレビCMって映画を15秒にしたものだろうな」
こう気持ちを切り替え、広告代理店志望に気持ちを切り替えました。

しかし広告代理店就職も甘くはありません。
だんだん分かってきたのは、「コネがないと入れない」ということでした。
事実、受かった広告代理店2社はコネが功を奏しました。

あまりに業界の慣習がコネだらけだったので嫌気がさし、当時投稿していたしていた朝日ジャーナルにそれをぶちまけました。
私の投稿は内容がおもしろかったらしく、毎回朝日新聞から謝礼をいただきました。
中には反論する読者もいましたが、今にして思えばブログを書いているようなものでした。
昭和時代は新聞や雑誌の投稿欄でしか、他人とコミュニケーションは取れなかったんです。

4.広告代理店で好きなことを仕事にする

そんなことで、広告代理店のラテ課(ラジオ・テレビのこと)に入社した私は、300本はCMを作ったと思います。
当時はカードCMといって動かないCMもたくさんありました。

映画を撮っていた経験が役に立ったのは、言うまでもありません。
上司の仕事で自治体のドキュメンタリー映画をつくることになり、シナリオも書きました。
今度は16ミリ映画でした。
親戚のママさんバレーの様子をネタに練ったシナリオはプレゼンを通過し、映画は完成しました

CM制作の仕事で一番役に立ったのが、CMコンテだったと思います。
大学の時、映画を撮る前にアングルやシチュエーションを決めるため、マンガみたいなものを書いていました。
それをコンテと言います。
ヘタウマですがCMコンテを書く営業はいなかったので、かなり重宝され、他営業の手伝いもしました。

人間国宝とコラボしたCMはACC賞を取ることができ、広告作品のいくつかは業界誌や本に載るようになりました。
私はディレクターではなく営業だったのですが、企画・プロデュースという役割で掲載されました。
優秀なディレクターが周りにいたのも幸いしました。非常に感謝しています。

広告会社変わってからは、番組製作もするようになりました。
バラエティ番組やドキュメンタリーが主でしたが、映画製作の経験が大いに役に立ちました。
大学時代の映画製作よりラクだったのは、会社の信用でスポンサーを募ることができたらからです。
自腹を切ってインスタントラーメン生活をする必要はありません。

こんな感じでいろいろ好きなことをしてきましたが、仕事をする上で厳しい条件がありました。

5.好きなことをするにはリスクを取らないといけない

サラリーマンなので、死ぬほどのリスクはありませんが、番組制作は多少のリスクが伴います。

それは、言い出しっぺが責任を取らないといけないことです。
最初に作った1時間のドキュメンタリー番組は、ある程度スポンサーが想定されたのですんなり行きました。
女性の活躍を題材にした企業ドキュメンタリー番組でした。

2回目と3回目はラジオ番組でしかも、3カ月から1年のロング番組。
4月の改編に合わせて企画するので、2月にはスポンサーが決まっていなければいけません。

以前と違い、まったく新しい試みの番組でしたので、まったくスポンサーのアテはありませんでした。
次のような番組です。

●アースデザイン・マインドミュージック
野鳥の声など自然の音とフュージョンをリミックスする30分の環境番組

●ラジオインターネットマニア
インターネットの面白ネタを紹介・コメントしていく番組

この二つの番組企画はすんなりラジオ局に通ったものの、スポンサー探しは難航しました。
番組放映時間は押さえているのでやらないわけにはいきません。
ギブアップはできないんです。

しかも私は「またあいつが何かやっている」という風変わりなポジションを社内で確立していたので、誰も相手にしてくれません。
1人でやるしかないのです。

思ったのは、「映画のプロデューサーってこうなんだろうな」ということでした。
優れた映画企画を作っても資金提供者が集まらないと映画はできないのと同じなんです。

とにかく日々、いろいろな企業に飛び込みをしては、断られの連続でした。
しかし、仕事とはなんとかなるもの。
「これはおもしろいから協力します」と言ってくれるスポンサーが現れるものなんです。

失敗したら会社を辞めようと思っていた私は運がいいことに、そのあと何回か番組・イベント企画を作っては実施することができました。

そしてこれは会社をつくる時に資本金を募って株主を探すことと似ていました。
株主もおもしろそうな事業を考えている若者に出資してくれるもんなんです。

6.会社のノルマは最低条件

最後にもうひとつ、リスクではないのですが、好きなことをするには会社のノルマを優先した上で行う、ということが大事です。

広告代理店で言うと、担当クライアントの扱いをキープする、買い切りを埋める、イベントを全員総出で行うとか、いろいろなノルマがあるんです。

会社で雇われている以上以上、ノルマは仕方がありません。
会社員であることの最低条件といえます。

確かに最低限のノルマはやって後はプライベートを充実するという「静かな退職」の選択肢はありますが、仕事に好きなことを上乗せすれば、充実感は増すはずです。
しかも、それで会社も儲かるというWIN WINだったら給与もよくなります。
私の場合も年俸アップしてもらっていました。

会社もWINなのに、報酬がよくならなしい好きな部署に移れないとならば、その会社に交渉するか、転職を考えた方がよいでしょう。

7.VMDをやりがいに変えた売場塾生

売場塾生の中には、今まで述べたようにVMDをやりがいにして成果を出し、会社に認められて昇進した人たちがいます。

例えば、メーカーに所属してお得意先周りをしている営業マンの方は、売場のプチコンサルをして回っています。
VMDインストラクターということでお店の方に重宝がられて、パイプは太くなり営業成績もよくなり、社長賞をもらいました。
VMDの研修もするようになると、お得意先を減らしてもらって営業の傍ら半分の時間はVMD業務をするという理想的な環境になりました。

またあるメーカーの研究員の方は、VMD好きが高じてショールームのディスプレイを自主的に作っていました。
展示会では季節や新商品のディスプレイレシピを配付し、特約店に売場づくりをアドバイスしていました。
やがて、その方は研究所から本社商品企画部に転勤となりVMD業務も担当することになったのです。

こんな感じで、VMDを好きになり、仕事のやりがいにして働き方を変え、自立していく人たちは売場塾では多くいます。
もちろん私のように会社員辞めてVMDで起業した人もいます。

来週末売場塾交流会を開催するので、ぜひ個性的な方々と交わってみましょう。

●第17回売場塾交流会「VMD Cafe」10/12(土)

8.VMDに関しては「仕事を好きにする」だった

だいたいわかりましたでしょうか、好きを仕事にするコツ。
まとめてみると、下記です。

  • 計画を立て行動してみる
  • 1人何役でもやる
  • 自分で責任を負う
  • 会社のノルマを優先した上で行う

これを徹底すれば、運は必ずついてきます。
なぜなら、前いた会社をクビにならなかったし、つくった会社もつぶれていないからです。(^^)

会社では自分の好きなことができない、というあなた。
あなたにとって好きなこととは何か、まずは考えてみましょう。
それを整理した上で、計画を立て社内で実現してみるんです。

ぜひ自主的に動いて自分の可能性を探って見てください。
あるときにクライアントの社長が言った言葉が思い出されます。

「言ったことを実行する、それだけだ」

さて、ここで、
どうして私は映像一筋できたのに、いまVMDやっているの?
と疑問に思う方、いるかもしれません。

いいところに気がつきました。(笑)
VMDに関しては、「好きを仕事にする」のではなくて、「仕事を好きにする」だったんです。
これを機会あるときにお話ししようと思っています。

それまでしばしお待ちください。~

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

インストラクターって必要なの?

インストラクター

VMDインストラクターの学校「売場塾」をつくってはや18年。
940人以上のVMDインストラクターを輩出していますが、今日は逆説的に「インストラクターってそもそも必要なの?」という観点からお話ししていきます。

まずは私の高校時代のエピソードから。

1.ひたすらリピートすれば成就する

それは、高校生の時でした。
映画研究同好会というサークルに入っていて映画を作っていたんですが、前々からスポーツ部にあこがれていました。
はつらつとした野球部員やバスケ部員を見ると、運動苦手な私はなぜか劣等感が。

そこで思いついたのは、「毎日ジョギングしたら、走ることだけはうまくなれるかも」ということでした。
校内で誰にも負けない長距ランナーになったら、「文化部でもスポーツダメ男にならないだろう」と単純に考えました。

思い立ったら吉日。その日から毎日20分位帰宅後に家の近くを走ることにしました。

ただ、「毎日20分走れば長距離で1位になれる」という単純な発想で、うまくいくかどうかまったくわかりませんでした。
しかしながら、なんとかなるだろう、と楽観的な気持ちでもくもくと雨の日も風の日も走っていました。
なんか映画のロッキーみたいで気持ちよかったです。

1年が経ち、体育祭のクラス対抗1500m走に出場してみたら、1位になれました。
ここで「なるほど毎日コツコツやれば成就できるんだ」と実感したんです。

次に思いついたのは、「みんなが苦手な歴史で学年で一番とれば目立つかも」でした。
そこで、中間試験も期末試験も数学や国語など他教科はあまりテスト準備はせず、ひたすら歴史のテキストや参考書を丸暗記してみました。

ジョギングと同じように、同じことをリピートして毎日やればなんとか1位になれるだろう、というシンプルな考えでした。

最初の中間試験の歴史テストの結果は2位でした。
次の旺文社試験は静岡県内で4位でした。
残念ながら1位ではありませんでした。

しかしながら、ここで、
●何かを目標に掲げひたすらリピートすれば、なんとか成就できる
という定義めいたものが生まれます。

2.足りなかったもの。それはインストラクター

この定義はもしかしたら、恋愛や将来の職業にも応用できるかも。
と、したたかな思惑がアタマを出します。

とはいえ、ウブで将来についてあまり興味なかった私は、そちらの方向に舵を取りませんでした。
とりあえず1月の10kmマラソン大会で1位を目指すことにしました。

相変わらず毎日走り続けていましたので、ある程度はいい成績を残せるだろうと高をくくっていました。
しかし結果は79位。
なぜかこの数字、今でも覚えています。
それは「泣く」と読めるからです。

この結末を友人に話すと、バレーボール部員の彼はこう言いました。
「そりゃあ、そうだよ。20分繰り返し走っているだけでは、10kmマラソンは持たないよ」
「距離を次第に長くしたトレーニングに変えなければいけない」
と諭してくれました。

私はこの時、「なるほど」と思いました。
そう、私に足りなかったのは彼のように指南してくれるインストラクターでした。

3.プチインストラクターとの出会い

他人に頼りたくない性格、自分のやり方でコツコツ続ける性格。
そんな私の性格にはメリットとデメリットがありました。

メリットは三日坊主で終わらないこと。
そしてある程度は成就するということ。

デメリットはある程度まで行ったらそれ以上は進化しないこと。
つまり壁にぶち当たること。

でした。

やがて社会人になり広告代理店に勤務しました。
その広告代理店もインストラクターはいませんでした。

商店やビル群を片っ端から飛び込み訪問するスタイルのその会社は、100軒飛び込み訪問・100件電話追い込み、ということを標語にしていました。
しかし、誰もそんなことをする人はいませんでした。
そう、上司でさえも。

中小広告代理店ではよくあることですが、億単位の売上のクライアントを持つ営業は、決して広告主を手離さない。
他人に譲ったり引継ぎせずに、ずっと社内商店経営している人が多いんです。

なので、飛び込み新規開拓する必要もなく、部下には「1日100軒飛び込め」というものの、自分は何もしない人が多かったです。

100軒飛び込み訪問・100件電追い込みが苦にならない私は、試しに毎日やってみました。
そのやりかたは誰も教えてくれないので、自己流で工夫を加えながらやっていくうちに、新規客が集まりだしてきました。

縁とは不思議なもので、私を見込みのある営業マンだと思ったクライアント1人が、「君は見込みがある」ということで、会うたびに「明日のための10か条」をメモして私に教えてくれたのです。

このプチインストラクターは「あしたのジョー」の丹部段平みたいな人でした。
「あしたのための10か条」は営業のトークの仕方がメインでした。
・値引き強要された時の会話
・お茶の飲み方
(あと、すみません。忘れました)

毎回、おもしろいように新規が開拓できると、ふと気がついたことは、小口クライアントはたくさん集まるけど、何千万や億のクライアントは集まらないということでした。
大手企業でも零細でも、静岡県をAからD地区に分けて自転車でルート営業していたのですが、それが限界でした。

私に足りなかったのは、数千万から1億の新規開拓を指南してくれるインストラクターでした。

4.パーソナルインストラクター時代

限界を知った私は人の推薦もあり、二社目の大手広告代理店に転職しました。

飛び込み営業がスタイルではないその会社では、直属の上司はつきませんでした。
その代わり、私を入れてくれた部門長が手取り足取り、新規客へのアプローチの仕方やプレゼンの仕方を教えてくれました。

そして飛び込み中心の面の新規開拓から、点の新規開拓に変わったのです。
つまり、クライアントターゲットを絞って、集中的にそこだけアタックするというやり方です。

その部門長はOJTで教えてくれるので、私のパーソナルインストラクターという感じでした。
前の会社と大きく違うところは「すべての仕事の成果は私に戻ってくる」ことでした。
前の会社は下働きの弟子みたなもので、上司のクライアントへの仕事を手伝っても給料に反映することはありませんでした。
前の会社では、上司のクライアントの売上はすべて上司の成果だったからです。

2軒目の会社では、新規はすべて私の客となり私の成果としてくれました。
もちろん、1社数千万から億のクライアントになりました。
おかげで、2度社長賞を取ることができました。
アカウントエグゼクティブ(責任広告代理店制)という広告スタイルを身につけたのもこの会社でした。

その部門長が転勤した後、私に直属の上司がつき、その方も手取り足取り企画の仕方や書き方、プレゼンの仕方など教えてくれました。
プレゼンもすべて立会いしてくれたのでうまくいきました。
こちらも、前の上司と同様、手柄や成果を私に帰結してくれる上司でした。

こんな感じで、インストラクターとしてぴったり寄り添って仕事のノウハウを教えてくれる人がいたのはとても幸運でした。
20年もの間の広告代理店勤務の中で、合計3年くらいトレーニングいただいたのですが、これは貴重な価値となりました。

こんな感じで、仕事で自分を高めるためには、ノウハウを持っている社内の人材をうまくインストラクターにするとよいです。
もちろん、ただ利用するのではなく、下記の条件が必要です。

●自分のためになるし、会社のためになる

これを詳しく見ていきましょう。

5.社内で自分を高める条件とは

社員個人も含めて会社の持つノウハウって、さすがハンパじゃないですよね。
あなたはただがむしゃらに仕事をしているけど、実は会社の持っている知識資産をいただいているんです。

いただいていない方は、積極的にノウハウを掴みに行った方がいいです。
そして、

●自分のためになり、会社のためになることをする

これを私が会社に社員として居続ける理念にしました。
サラリーマンである以上、会社に貢献しなければいけないのは定めです。
そしてノウハウをいただいていることに感謝すべきです。
私の場合は新規開拓、売上で貢献しました。

それが

●会社のためになるけど、自分のためになっていない

場合は、ノウハウがあるワンランク上の会社を目指すか、ノウハウを持っている部門に移った方がいいと思います。
やっぱり仕事ってお互いにWIN WINじゃないと成り立たないからです。

私はそんな考えでサラリーマンをしてきました。
だから3回くらい転職、部門転換したんです。

で、もうひとつのパターンもありますよね。

●自分のためになるけど、会社のためにならない

そんな場合は、残念ながらリストラか左遷の憂き目に会うかもしれません。
私も一度経験ありました。

6.インストラクターはどこで探すか

さて、自分のためになるインストラクターはどこで探すか、なんですが、社内の「これだ」という人を頼るといいでしょう。
部が違っても、遠くの支店にいても会いに行くべきです。
私は新幹線を使って会いに行きました。
「弟子にしてくれ」ということではなくて、話を聞いてみるという目的です。
まずは話を聞いてみる、相談してみる事が肝心です。
その上で得るものはありました。
それが今後どうするか、の道しるべを描けます。

実は最初の会社で、「会ってみたい」という人がいました。
その方は、山のふもとに家があり、電話も通っていない家に住んでいました。
玄米を食べているというマクロビオテックな人ですが、快く会ってくれました。

その他、相撲の記者をやっている先輩に会いに国技館に行ったり、交流会で知り合った海外広告会社勤務の方に会いに行ったりと、「この人に会えば何か得られるかも」という気持ちで軽く行動に移していました。

メンターみたいな人を探していたかもしれません。
とにかく躊躇しないで即行動に移すといいです。
意外と人は初対面でも会ってくれるものです。

7.自らがインストラクターになる

月日は流れ、私はやがてVMDの会社をつくることになります。
しかし、VMDの知識はそれほどありません。
やはりここで、VMDを教えてくれるインストラクターが必要になります。

どうしたかというと、やはりパーソナルインストラクターを探していっしょに仕事をするようになりました。
2年くらいは、自ら新規開拓した仕事をインストラクターに頼んで、OJTしていただきながらVMDを実施させていきました。

VMDの仕事をすべてそのインストラクターとやりながら、VMDの極意を覚えていったのです。
仕事はすべてお渡しするので利益率は半分しかありませんでしたが、貴重な経験になりました。
今でもそのインストラクターに大変感謝しています。

そんなことで短期間でVMDのノウハウを身に着けた私は、アパレルや百貨店のVMDというよりも、電気や化粧品、車などいろいろな業種・業態のVMD理論構築が急務だと考えるようになりました。

そこで業界を絞ってクライアントを発掘し、頼みもしないのにいろいろな分析やプランを提出しては、その仕事を遂行してきました。
要は実験に実験を重ねていきました。そうしてノウハウを構築していったのです。

同時にビジネス誌の編集委員になり、新聞記事等でVMDに熱心な会社を選出、取材し論文を書いていきました。
その数100社くらいです。
そのおかげで、業種・業態・取り扱い商品を問わないVMD理論が構築でき、それを「55のフレームワーク」としてまとめました。

よかったら、どのくらいの論文を書いているか下記を見てください。

●深沢泰秀 論文

そして起業してから3年目で売場塾をつくったという次第です。
ニッポンにはインストラクターが少ないので、インストラクター自体を作りたいというのが、私の狙いでした。
VMDを教えてもらったけれど、逆に教える立場となり、今はインストラクターを育成している、ということです。

8.インストラクターはどこでも必要

私はそんなわけで、VMDインストラクターという資格制度をつくったんですが、実はこんなことはどこの業界でも当たり前になりました。

●鮨アカデミー
寿司職人になるには10年は親方の見習いにならなければいけないというのは昔の話。
いまや鮨アカデミーに通えば、2か月で寿司職人になれる。
インストラクターが仕込みから寿司の握り方や開店の仕方まで教えてくれる。

●ライザップ
これもう言わずもがな。
パーソナルトレーナーが筋トレだけでなく食事や生活管理まで教えてくれる。

●プログリット
英語のパーソナルトレーニング会社。
あなたに合った学習法で英語を教えてくれる。

上記のような授業料が高い学校に通わずとも、You Tubeでタダで勉強できる、とあなたは思うでしょう。
でも、やっぱり手っ取り早くノウハウを身につけるには、インストラクターに指導してもらうのが一番いいと思います。
究極はパーソナルインストラクターを起用するといいでしょう。

ということで、VMDインストラクターはいま全国に943名。
下記のような、いろいろな方がいます。

●VMDインストラクターにお聞きしました

またネットで「VMDインストラクター」と検索すると、たくさんの人が出てきます。
だれに依頼するか迷ったら、VMDインストラクター協会にお問い合わせください。
「VMDパートナー」という制度があり、VMDインストラクターを紹介したり、派遣することができます。

●VMDインストラクター協会 お問い合わせ

そしてもちろん、あなた自身がインストラクターになりたい場合は、ぜひ売場塾をご利用ください。(^^)

●売場塾

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

あなたは資格にいくら投資する?

1.資格を取る動機

今回は「役に立つ資格とは」についてお話します。

皆さんは何のために資格を取るんでしょうか。
ざっと書くと、

  • 生活に役立てたい
  • 自分に専門分野が欲しい
  • もっと稼ぎたい
  • 昇進したい
  • 起業したい
  • 趣味を持ちたい
  • 趣味を生かしたい
  • 友達がほしい

などの動機があると思います。
それが自らの意思の場合もあるし、半強制的な場合もあります。

  • TOEIC650以上じゃないと社内で昇進できない
  • 親から英会話教室に行かされている
  • 会社からマウスの資格とるように言われている

もちろん、税理士や宅建、社労士などの国家資格は、それがなければ業務ができないので、必ず取得しなければいけません。

しかし法的な義務がない資格の場合は取るのが自由だし、取ってとても役に立ったこともあれば、何の役にも立たなかったというものもあるでしょう。
果たしてどんな資格が自分の役に立つのか?
それを振り返ってみたいと思います。

2.資格はどう人生に影響するか

それでは、私を振り返って過去資格を取って人生がどうなったかお話しします。
これ、オーバーな言い方なので、人生じゃなくて「ライフコース」くらいにしておきますか。
赤裸々に資格と私のライフコースの関係について話します。
資格を取りたい人の参考にしてください。

●書道

保育園のころから書道教室に「行かされて」いました。
習字はまったく興味がなく、あの墨が手や服についてしまうのも嫌でした。
しかし私も含め3兄弟、両親から「行かされて」いました。

10年後最後の5段まで行って高校入学と同時に書道塾通いは終わりました。
具体的には、毛筆5段、硬筆特級になりました。
それがどのようにライフコースに影響したかというと、どうなのかなという感じです。
だいたい下記くらいが影響あったことです。

・友達からラブレターの代筆を1回頼まれる
・知り合いの新店のあて名書きを1回頼まれる
・お歳暮のあて名書きを1回頼まれる
・ゴルフの景品の目録一覧を1回頼まれる

ほとんど無償なのでお金を儲けたことは一円もありません。
この資格、
電通の面接時に「書道5段持っているの?すごいね」
と言われて「そうなんだ」と気づきました。
知り合いの新店のあて名書きしてコーヒーおごってもらったと言うと、「安すぎる」と言っていました。(笑)

ちなみに売場塾で白板に書いている文字はどヘタで見る影もありません。
日常生活ではほとんどパソコンで書いているので、役に立っているということは皆無です。

で月謝いくらくらいだったのは定かではありません。
もちろん親に出してもらっていました。

今後の活用については、直筆のあて名書きがダイレクトメールで最近流行っているので、そのうちに自社の販促的に使おうと思っています。

●TOEIC

意外だったのが、英語を話せる人って社内に少ないということ。
もといた会社のフロアに200人以上はいると思いましたが、あんまり英語できる人っていないんですね。
かくういう私は今も勉強中でペラペラには程遠く、英語の勉強をするごとに絶望感を味わっています。
ただ会社在籍中になんとか750は取りました。
そこまでに至る経費はざっと100万くらい。
英会話学校はLADOとNOVAに行きましたがやっぱ時間も必要もかかります。

元いた会社ではTOEIC上記の人には月々5,000円補助金が出ていて、これは実感として儲けた気がしていました。
給料ベースアップしたような感じ。

TOEICが役に立ったのは2度くらい。
イギリスと韓国のクライアントのプレゼンに立ち会ったのと、アメリカの釣り具メーカーのデモンストレーションの通訳に立ち会ったくらい。
役に立ったのは私で、クライアントの役には立たなかったです。
私は英語の勉強として役に立ちました。

もうひとつ付け加えると、「フィリピン人の彼女に別れを英語で告げてほしい」という知り合いの依頼があり、パブに行った覚えがあります・・・・。

役に立つといえば、最近外国語の本やVMDセミナーをYou tubeで見ています。
世界のVMDを探るにはいい機会と思っています。

●マッキントッシュ

これはパソコン元年に大枚をはたいて買ったもので資格ではないのですが、新しものの私はまず家族に内緒で買いました。
けっこういい感じの値段でした。
その後も周辺機器やソフトを含めて、車1台軽く買える金額を投入。
デザイン会社はみなマックを使いだしていましたが、営業職でマックを使っている人は周りにいませんでした。

パソコンの使い方教室に通い、テキストと表計算位はできるようになりました。
正直最初の半年はワープロより使いづらかったので、かなり苦戦していて一時パソコンのおかけで仕事の生産性が落ちました。
企画書やレポート、見積もりもすべてマックで作っていたので時間がかかったんです。
年賀状もマックで作ったものの、できたイラストは小学生なみでした。

役に立ったのは、インターネットにいち早く着目できたことです。
当時は静岡にいて東京のインターネット関係者と通じることができたのはよかったです。
インターネットを使ったラジオ番組や雑誌制作の企画をつくって、パソコン店やパソコン専門学校の新規開拓ができました。

ただ、数年経つとウインドウズが世の中を席巻して、マックを使っているのは制作会社と医者くらいになりました。
マックは持っていてもクライアントや社内で互換性のないデバイスになってしまいました。
東京転勤の機会もあり、以後ウインドウズに転じました。

●商業施設士

これはオーバルリンクを設立してから取った資格。
今でこそ、コンサルの仕事がメインですが開業当時は内装や看板の仕事が多かったです。
とりあえず仕事を取らなければいけない私は何でも引き受け、設計会社や施工会社に外注していました。

すると利益はほとんどありません。
しかも内装後に修理あった場合はこちらが余分な経費を持たなければいけません。

そこで、企画設計とCADくらいはできるようになった方がいいと思い、この資格を取りました。
商業施設士は図面が描けるようになる資格です。
実技も図面です。

以後、設計図制作、パースデザインは社内でできるようになりました。
施工も分別発注形式にしたので、利益はほぼ100%になりました。

図面を自分で書きたい人には手っ取り早い資格だと思います。
受験料も22,000円と安いです。
それにプレセミナーとテキスト代などを入れて50,000円位でしょうか。

ただし、資格を取った後も年間の会費がかかります。

●照明士

これも上記のごとく内装で照明の知識がいたので、取った資格。
どんな意匠のライトを使って室内やディスプレイを演出したらいいのか、改装の時に必要だったからです。

照明設計も設計士や施工会社に外注していたのですが、やはりトントンでしたので自分でできるようにしました。
改装や新装の図面を書く時に役に立ちました。

ただし、施工会社とやりとりするのではなく、直接照明メーカーに照明率表や部屋指数を聞かないと照度計算ができないことがわかりました。
この計算ができないと照明器具が選べないからです。

一度計算しないで器具を選定したことがありました。
すると、ディスプレイに当たるライトが拡散してしまいました。
「うーん、ミステリアスな演出ができない」ということで、その後は照度計算するようになりました。
当時はカタログに記載されていないこともあって問い合わせ等面倒でしたが、今はネットで照明率を見ることができるのでラクではないでしょうか。

役に立ったことはもうひとつ。
VMDセミナーに照明を入れることができました。
特に商業施設のテナントは照度が暗くお化け屋敷になっている店があるので、こうした店の照明を改善することができます。

価格は通信講座受講料が37,400円。
テストと込みになっていますが初年度会費がかかります。

●色彩検定

これは私ではなく社員に1級を取ってもらいました。
カラー部分の理論づけをしっかりつけられたことと、服をコーデネートしたときの微妙な判定に役立っています。

微妙な判定というのは、

・対照色相で対照トーン同士の服のセットアップ
・類似色相で対照トーン同士の服のセットアップ
・クロスコーディネーションの判定

など彩度や明度が微妙な組み合わせの場合です。
これらの判定の理由付けが必要だったからです。
ワークショップでは、講師が理由を言いながら直すことが必要です。
たくさんの色がある売場の担当者は、この資格を持っていた方がいいと思います。

実際、売場塾に来る方はカラーの資格を持っている人が多いです。
カラー資格プラスαということで、VMDインストラクターになる人が多いです。

費用はどのくらいかというと、社員に任せたのでわかりません。
ネットだと1級で15,000円の検定料ですが、その前に2,3級を取るのと、参考図書などが必要なので数万円はかかっていると推測されます。

3.資格はどのように選ぶか

ということで、資格がどのように役に立つかを自分たちの経験に踏まえて話してきました。
資格は国家資格からカルチャーまで千差万別です。
そんな資格を選んで取るにはどうすればいいかを述べます。

それては、ある程度はこうなりたいという目的を設定することです。
そして、この程度にはなりたい、という目標が必要です。

英語にしても、海外旅行時に役立つ程度なのか、海外に出て仕事として話せるようになりたいのか、目的と目標が違います。
筋トレにしても、きんに君くらいになりたいのか、腹をひっこめる程度でいいのかで目的と目標が変わります。

私の場合は、書道は親からの指示、英語は教養程度ですが、他の資格は仕事や会社の足りないところを埋めるようにして取得しました。
今でも、足りないところは各種セミナーに参加するなどして補い、必要とあらば資格取得を考えています。

ほとんどの学校は資料請求、説明会、セミナーなど開いているのでそれを利用するといいでしょう。
そうしてある程度、よさそうだなと思ったら資格を受験したり、講座に通うといいです。
それには時間とお金がかかるので、やっぱり「資格を取ったらこうなりたい」という目的と目標をは持つことでしょう。

売場塾生徒でもMBAや中小企業診断士など難しい資格を取る方がいます。
そういう資格は数年かかりますので、さらに身構えは必要になります。
資格を習得した中には、大学教授になった人、大手会社の社長になった人、独立起業して数千万円稼いでいる人もいます。

まずは目的と目標を設定して見てください。
そして、目標に達するにはどうすればいいのか紙に書くとよいでしょう。
そのスケジュールの作り方は下記を参考にしてください。

●君たちはどう生かすか

4.VMDインストラクターはどんな資格か

ディスプレイうまくなりたい、という人よりも名前の通り、VMDの指導者になりたい、先生になりたいという目的の人の資格です。

・VMDの集合研修ができる
・VMDの現場研修ができる
・VMDのガイドラインをつくることができる

この3つができるようにする資格です。
確かに、ディスプレイの授業はあるけれど、それは基本講座では全体の1/3の時間のみ。
残りの2/3はショップデザイン、MDと展開、体験販促です。

基本コースはVMD基本講座・アパレル基本講座という名の通り、基本を学ぶためのコースですが、指導コースはその名の通り、指導者になりたい人のコースです。
このネーミング、応用コースとかプロコースでもよかったんですけどね。
目的を明確にするためにあえて「指導コース」にしました。

目的が明快だけあって、入塾する人の8割は本部のVMD担当かリーダーです。
13%は独立起業してVMDで食べていく目的で入塾しています。

とはいえ、「VMD初心者」「VMDを習ったこともない」という人でも対応していますので、ご安心ください。
詳しくは説明会や資料請求、セミナーなどにお越しください。(^^)
資格の活かし方、お教えします。

●売場塾&VMDインストラクター説明会・セミナー
●売場塾資料請求

最後はやっぱり広告でした。~
ご清聴ありがとうございました。

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

ネーミングによるブランディング戦略

オーバルリンクのロゴ

今日はネーミングと商標によるブランド戦略についてお話しします。
例によって広告マン時代から今日に至るまで綿々と続いている活動です。
この話、販促部の方や宣伝部、営業企画部や独立起業した方にもばっちりためになるのでよく聞いてくださいね。(^^)

1.広告マン時代のネーミング戦略

今は小売店やメーカーを含めた流通業社をクライアントとしているオーバルリンクなんですが、広告マン時代はメーカーが主なクライアントでした。
静岡支店時代だったので、お茶メーカーや釣り具メーカーなど静岡ならではの商品のネーミングが多かったです。

ネーミング自体を依頼されたことはまったくなく、「どうしたら売れるのか」「どうしたら名前を消費者に覚えてもらえるのか」などを考える上で、浮かび上がったアイデアのひとつです。
それとは逆に、「こんな商品があったらいいな」という過程で浮かび上がった商品自主プレのネーミングもありました。

当時の私の広告スタイルはAE。
アカウントエグゼクティブ(責任広告代理店制)といい、広告だけでなく商品開発から販促企画までブランディングをトータルに行っていたため、商品の名前は重要でした。
主なものを紹介していきましょう。

A.釣り具パーツ

オモリやフックなど釣りにパーツは欠かせません。
パーツ商品のパッケージデザインを任されました。
釣具店の売場にはいろいろなメーカーのスイベルやオモリが並んでいました。

しかし、どのメーカーも似たような袋のパッケージ。
品番とアイテム名のみ、例えば「No154-5 スイベル」とか「No874-8 スピナー」という商品名でした。
これではどの商品を選んでいいかわかりません。

そこで、依頼されたメーカーの商品にあだ名を付けることにしました。

スピナーを「ピカイチスピナー」
スイベルを「サイクロンスイベル」
スナップを「イキイキスイベル」
リングを「手錠リング」・・・

そしてあだ名の横に1.2行の下記のようにキャッチコピーを入れました。

「ピカイチスピナー」
→「輝きが違う、回転が違う!キラメキバツグンだから遠くのバスにもアピールできる。

「イキイキスイベル」
→バスが追ってくる!ルアーをイキイキアクションさせるにはこのスイベルしかない!

あだ名とキャッチコピーを目立つようにパッケージにレイアウトしました。
黄色と青の目立つロックみたいなパッケージデザインは売場ですごく目立ちました。
思えば、このころからVMDを意識してパッケージ開発していたんです。

メーカーは最初、「卸からの注文が品番でなくてあだ名から入ってくるからわかりづらい」と言っていましたが、それでいいんです。

品番よりも名前を覚えてもらう。

それが何よりも広告効果だと思いました。

B.新茶物語

静岡では新茶の時期になると販売が活発になります。
いつも若い人向けに何かおもしろい商品が出来ないかなと思っていました。

新婚ほやほやだったわたくしは、新築の家に住み洋風リビングでお茶を飲んでいました。
リビングに置いたお茶缶はいかにも和風デザインで、板の間のリビングには合いませんでした。
かねがね、「新茶は季節の便りとして人に贈るもの」という意識あった私は「新茶はメディア」というコンセプトを考え、「新茶物語」というモダンな商品をお茶メーカーに提案してみました。

提案の直接のきっかけは下記でした。

橋本環奈似のモデルが和服を着てウォークマンを聞いているお茶カタログの表紙。
それは東京のデザイナーに依頼してつくってもらったカタログデザインでしたが、とても気に入りました。
それをヒントにストーリーを考えてみました。
ニューヨークに滞在している父に静岡にいる大学生の娘が新茶を送るという物語。

若い女の子だったらこういうお茶を送るんだろうな、というイメージでステンレスの丸い弁当箱のような缶にお茶を入れ、金平糖を白磁の皿に入れて箱にセットでつくってクライアントに提案しました。
名前は「新茶物語」
顧客が新茶を贈答する際はオリジナルの手紙を中に入れられる仕組みにしました。

娘の名前はみどりとし、書道五段の私が女の子っぽい手書きで広告用の手書きを書きました。
小売店にとっては代筆して先様に送るというかなり面倒くさい商品でしたが、話題性とクリエイティビティは確保できました。

C.新世紀

2000年を迎えようとししている時。
社内会議で「2000年という節目は広告チャンスだ。それをネタにみんなで企画を出し合おう」ということになりました。
そこで、私は「新世紀を商標登録してそれで商品づくりを企業に提案しよう」という案を出しました。

「新世紀」は梨で有名です。
ただ、梨は果物の部類に入っているため、他の部類の商標はされていませんでした。
これはチャンスです。
食品メーカーに持ち込めるように、砂糖・お茶・米などの部類で会社名義で商標登録しました。

先願権がないの弁理士に確認してもらい、いろいろな企業に企画を持ち込みました。
決まったのはやはりお茶店で、新世紀の祝いのお茶を出そうということになりました。
神社にお祓いしてもらったお茶を「新世紀」として通販で売り出すことになりました。
結果まずまずの売上と話題作りができました。

しかしこれ、落ちがあります。
後日、他のお茶店が商標を持っているのが判明し、販売の続きはできないという羽目になりました。
特許庁が間違えてダブル承認してしまったということでしたが、今でも腑に落ちません。

そのほかにも会社員時代には、

・マナ坊
・ラジオインターネットマニア
・アースデザイン・マインド・ミュージック
・よりどり緑
・オーシャン・リー

などいろいろなネーミングを考えて企画提案・実施しました。
こんな感じで、商品名はマーケティング、ひいてはブランディングの一環で、広告・販促を営む人なら誰でも必要なものでした。

さて、ここらでオーバルリンク時代のネーミングに移りたいと思います。

2.オーバルリンクの商標戦略

広告代理店を辞めてVMDの専門会社をつくってからも、VMDをどうやって商品化するか考えていました。
とはいえ当社はコンサル会社なので、商品は無形商品です。
サービス名というのが正しいです。

しかし、ネーミングの考え方は商品でもサービスでもテレビ番組でもタレント名でも、まったく同じなんです。

ましてや創業したての会社が「VMDいかがですか?」と企業に売り込んでも、相手はまったくわかりません。
実際のところ創業当時は、VMDという言葉も知らない企業がほとんどでした。
電機メーカーのクライアントが多かった私は、やっぱりVMDを分かりやすく企業に知ってもらうには、ネーミングが肝だと思いました。

・売場UP2サポート
・売場ドッと混む
・リモデルプラス
・ユニットVMD ・・・

など、いろいろ考えて提案・実施してきました。
VMDのコンサルが多くなり市場が大きくなった今、商品名を考えるのは差別化として不可欠になりました。

ここで、当社のメイン商品として商標登録し今でも続けているサービス、それらをいくつか紹介します。

「売場塾」

VMDの学校 売場塾ロゴ

VMDセミナーサービスをつくるにあたって、何かよい名前がないかなと思っていました。
「VMD大学」、「VMD道場」、「VMDスクール」などが考えられますが、どれもありきたり。
少人数の上、ビルの地下でセミナーをやっていたことから、塾という名前がしっくりきました。
うちの社員にデザインの原案を渡し、上記のようなロゴにしました。

リリース直前、私が少し横長文字に改良しました。
VMDという言葉が入っているのがとても気に入っています。
(気がつく人は少ないですが・・・)

次いでサブネームも考えました。

出張売場塾 →クライアント先で行う売場塾
オーダーメイド売場塾 →クライアントの業種・業態・取扱商品にカスタマイズする売場塾
オンライン売場塾 →オンライン講座

など。

地下で始まった売場塾

これは売場塾の初期の様子。
地下室で始めたので、やっぱり学校というより塾ですね。(^^)
売場塾の生い立ち、詳しくは下記をクリックしてください。

・売場塾アーカイブ

以後、どんなセミナー関係でもほぼ「売場塾」のロゴを入れています。
単なるVMDセミナーというよりも、売場塾という学校のベースがあり、その理論や教材を使ってセミナーをする、という特色が出るため、法人セミナーでもロゴを入れています。
by 売場塾 という感じですね。
インテル入っている、という使い方です。

「月刊VMD」

月刊vmdロゴ

これは最近開発した商標です。
普通に読んでみると「ゲッカン・ブイ・エム・ディー」です。
VMDに関する雑誌ブランドと思ってください。

現在、VMD専門の雑誌は存在しません。
かといって当社が月刊誌を本屋で売る流通誌として出すとかなり労力がかかります。

時間も人材もない当社ができることは、まず月ごと送っているメルマガやブログに名前をつけるということでした。
そこでつけたのが、「ゲッカン・ブイ・エム・ディー」。

響きがいいんです。(^^)
これもネーミングの大事な要素。
すぐに覚えてもらえるんです。

かといって、それをすぐに販売して利益にするのは難しいので、しばらくホワイトペーパーの名前にしていました。
ホワイトペーパーとは広報用の雑誌みたいな意味で、MA(マーケティング・オートメーション)やっている会社がよくやっている販促ツールです。

もともと当社はビジネス誌や書籍にたくさんの論文を書いています。
それらをマッシュアップして記事化し、当社のVMD理論やレポートとして無料で配付していました。
毎月新しい情報を必ず2つは流しているので、ホワイトペーパーも「月刊VMD」と問う名前にしてクライアント等にお送りすることにしました。

その後、オンライン「センスアップセミナー」のテキストにもすることにしました。
2021年の9月から今でも続いています。

・センスアップセミナー

今年春からは「月刊VMDムック」として書籍発売もすることにしました。
ムック購入したい方は下記からお申込みください。
1冊から買うことができます。

・月刊VMDムック「商空間ディスプレイ」

またキンドルのサブスク入っている方は無料で読むことができます。

・月刊VMDムック「商空間ディスプレイ」キンドル版

今年、月刊VMDをファミリーブランド化し、月刊VMDブログ、月刊VMDメルマガ、月刊VMDムック、月刊VMDレポートなどと、でサイン統一しました。

vmdメディアブランド戦略図

今まで述べて来たことを図にしたのが上記。
広報メディアもブランド化できることが分かったと思います。

「商空間スタイリスト」

商空間スタイリスト

VMDインストラクターがVMDの資格として確固たる地位を確立したころ、ディスプレイの資格は考えられないだろうか、考えていました。
そこで上記のような名前を考えました。

「商空間スタイリスト」を商標化したのは2017年ころ。
このディスプレイ資格の特徴を如実に図案化しました。

・陳列スタイリスト
・展示スタイリスト
・プロップPOPスタイリスト

「商空間スタイリスト」は上記3段階を経て取得する資格のため、このようなロゴになりました。

ロゴのしくみとして、上記3段階を入れた4段階の資格の色を決めています。

・陳列 →オレンジ
・展示 →パープル
・プロップPOP →グリーン
・商空間スタイリスト → スミ

色をベースにテキスト、認定証、案内書、広告に至るまでVIを決めてデザインしています。
四角いキラッとしているスクエアはシャイニングスクエアといい、デザイン要素のひとつです。
また、カードはSのイニシャルを透かしで入れています。
英名、Shop Space Stylistの頭文字ですが、私はスーパーマンのイニシャルと呼んでいます。

商空間スタイリストを取得した方、ぜひディスプレイ制作のスーパーマンになってほしいです。(^^)

「VMDインストラクター」

これはもう言わずもがなですね。
当社のビジネスモデルそのものです。

ただ、なんでインストラクターという言葉をつけたのか?というと、文字通りVMDのリーダーを育てたいという当社の方針があったからです。

売場塾を始めた2006年はVMDコンサルタントが市場にあまりいませんでした。
日本にVMDを広めたいと思って創業した当社なので、早くVMDを国内に広げるにはどうすればいいか、考えました。

そこで、私のようなVMDの先生を日本にたくさんつくると早くVMDを広められるのではないか?と思いつきました。

VMDを広める人をVMDインストラクターと名付け、日本の新しい職業にしようと考えたんです。
VMDインストラクターは、ただディスプレイがうまい人ではありません。

・ショップデザイン
・品揃えと展開
・ディスプレイ
・体験販促

この4分野のスキルを持つ人でないとVMDとは言えないと思い、VMDインストラクターを考案、商標化しました。
ヨガが広まった時にヨガインスタラクターがたくさん輩出したのと同じように、VMDもインストラクターが必要だったんです。

そしてVMDインストラクターの資格取得者は企業本部の方が多いという特徴を持っています。
チェーン店である小売店本部のVMD担当はチェーン店を指導しなければいけません。
メーカーや卸の本部の販促担当も、営業所やお得意先である小売店に提案活動、ミニコンサル活動をしなければいけません。
またVMDとして起業したい方は、VMDインストラクターそのものが仕事にならなければいけません。
つまりVMDの先生として収益を得るんです。

そういう意味で売場塾では、単にディスプレイがうまい人というよりは売場づくりを総合的に指南できる人材を育成していったのです。

詳しくは、VMDインストラクター協会のホームページをどうぞ。(^^)

・VMDインストラクター協会

この認定カードも社内で考えたシンプルなデザイン。
2006年はiPhoneが流行っていたので、iを用いた図案にしました。
すちなわちvmd-iです。

iPhoneのようにシンプルなデザイン、気に入っています。
シニアは下写真のように格調高い紫色にしています。

VMDインストラクターはただいま922名なのですが、シニアはまだ22名しかおらず非常に貴重な資格になっています。
シニアは実技試験があり、合格率もVMDインストラクターより低いです。
シニアは「VMDをコンサルサービスとして収益を上げられる人」が認定基準となっています。
そのため、シニアを取った方の半分以上が独立起業しています。
中にはVMDコンサル事務所として株式会社を立ち上げる方もいます。

VMDプロの皆さん、ぜひシニアVMDインストラクター目指して頑張ってくださいね。(^^)

3.社会意義的な商標

当社は上記の他にもたくさんの商標を持っています。
商標は当社のブランディングの一環として捉えています。

例えば「快場」はいろいろな企業が使っている、もう流通業界では馴染みの言葉なんですが、実はオーバルリンクの商標なんです。
快場のコンセプトは下記を参照ください。

・快場とは

フットマーク株式会社が「介護」という言葉を考えて商標登録したのと似ています。
フットマークの社長は、看護と介助という字を組み合わせて「介護」という文字にしました。
商標の権利は今でも保持しているんですが、みんなが知らずにフツーに使っています。
子供を守る学校の水泳帽は今では当たり前なんですが、これもフットマークが昭和時代に考案したもの。
以前社長の講演を聞きに行ったんですが、こうした活動はすばらしいと思いました。

「快場」も「介護」なみにフツーの言葉になりつつあります。
いや、コロナ禍後の売場づくりはますます「快場」が意識されています。
それは「リアルな売場は楽しい買い物体験を提供する場にしなければいけない」という機運が高まっているからです。

4.商標は戦略にする

最後に大事なことをひとつ。
ネーミングや商標は「おもしろい名前思いついたから、とりあえず登録する」だけじゃダメなんです。

あなたの商品、あなたのサービス、あなたの会社の戦略にしなければいけません。
名前を決めるきっかけは二つ。
●今ある商品やサービスに名前をつける ●名前から発想して新商品やサービスをつくる があります。

広告代理店時代は前者が多かったんですが、会社をつくった今は後者も多くなりました。
前者も後者も戦略が必要です。特に後者は入念に行っています。
私はいつも企画書を書いて、戦略の道筋を整理しています。
登録する商標の2.3年後、長いときは5年後の姿を描いています。

例えば、「商空間スタイリスト」という名前を考えたのは2014年6月。
パワポの企画書は24ページ。書き直し3回。
そして実際にスタートしたのは2017年12月。
今なお、企画書を更新しているんです。

「VMDインストラクター拡張戦略」を書いたのは2014年11月。
企画書ページ数は23ページ。
2016年10月で企画書更新6回目になっています。

そんなわけで、デスクトップの事業戦略ホルダーは、いろんな企画書でいっぱいなんです。
あたためているネーミング、たくさんありますよ。(^^)
商品やサービスの未来を考えるってなんだかワクワクします。

ということで、いいネーミング思いついたからと言って、安易に商標登録しないでくださいね。
どのように収益化するか練りに練ってから商標登録しましょう。

販促部の皆さん、VMDプロの皆さん、お店や会社、商品のブランド確立、ともにがんばりましょう~。

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

売場塾生が1,000名になりました

0.地下室から始まった売場塾

売場塾の生徒もこの秋で1,000人になりました。

売場塾はいつからどこでやっているのか。
それは2006年4月春期からです。
そして場所は東京三田なのですが地下室から始まったということです。

このブログでは、社会人の皆さんに参考になる、ノウハウの生かし方についてお話しします。
すなわち「君たちはどう生かすか PART2」です。
PART1は下記をお読みください。

●君たちはどう生かすか

さて、VMDの会社を21年続けていて山あり谷ありだったエピソードに加え、私がサラリーマンだった20年間も振り返ってみたいと思います。

それは下記ではないでしょうか。

  1. 仮説を立てて行程表をつくる
  2. コツコツ続けて工夫を重ねていく
  3. 自分を貫く
  4. 他人と違っても気にしない

ひとつひとつお話しします。

1.仮説を立てて工程表をつくる

「これをやりたい」
「あれをやりたい」

なんて誰でもありますよね。
仕事では

「バリバリ新規開拓したい」
「VMDをうまくなりたい」
「プレゼンスキルを上達させたい」

でも、殆どの人はそう言っているだけでなかなか実行に移しません。
仕事が忙しいことを言い訳にしているからです。

本当に希望をかなえたいなら、まず何をやるかまとめ、時間をつくること。
そして、とりあえずのゴールを決めるといいです。

「バリバリ新規開拓したい」なら、ゴールは下記のように定めます。

「半年以内に100万以上のクライアントを5本開拓する」
「1年以内に1千万級のクライアントを1社とる」
「新聞広告のクライアントを毎期獲得する」

など、おぼろげでいいので決めます。
ノートにメモりましょう。書くと気持ちも整理できます。

次に工程を決めます。

「半年以内に100万以上のクライアントを5本開拓する」

だったら、

「1日5軒は学校関係の企業に飛び込み営業する」
「釣り具業界の有名な会社にプレゼンする」
「テレビ番組をつくってスポンサーを募る」

みたいに、どうやってクライアントを5本開拓するか方法を決め、動き出します。

上記は私が広告代理店のサラリーマンだった時、本当に行ったことです。
そして実際に新規開拓だけで3年でクライアントを獲得でき年計2億になりました。

2.コツコツ続けて工夫を重ねていく

私が大学卒業して入った広告会社は、1年以内に8割方の新人が辞めていくという過酷な会社でした。

飛び込みセールスで新規を取っていくというまさに昭和時代のスタイルでした。
ほとんどの人が喫茶店でコーヒーを飲んで一日をしのぎ、やがて辞めていきます。

「単純に飛び込みしても仕事は得られないだろうな」

大学出たばかりの私は、A,B,C,Dという静岡市内の営業ルートを考え、そのルート上にあるよさそうな広告主に月2回の頻度で飛び込みました。
「断られても4~5周回ればなんとかなるだろう」と思いました。

1週目は門前払いです。
2週目も門前払いです。

3週目は、広告主なら誰もが興味を持つ資料を自分で作り、持ち込みました。
すると話を聞いてくれる広告主ができました。
4週目に入ると、ひとつの広告主が「実はこんな悩みがある」などいう相談がきました。
5週目に入ると、わずかばかりの広告をいただけました。

こんな風に工夫に重ねていくとよいです。

あとは持続力です。
他の人は2週目に門前払いされたところで、もう3週目は行かないでしょう。
そこが普通の人なんですが、諦めずにコツコツ地道に実行するようにした人に門は開いて行くんです。

2006年に始め売場塾も山あり谷ありだったんですが、工夫を重ねてここまで来ました。
時間帯を工夫したりテキストやワークショップを変えたりと、コツコツ工夫を重ねているからこそ継続でき、今があるんです。

実際、起業した人で公開セミナーや学校を始める人は多いのですが、途中でやめてしまう人がほとんどです。
最初はよくても、そのうちに集まらなくなってくるからです。
もう少し頑張って工夫して継続していく努力をした方がいいと思います。

3.自分を貫く

時代はインターネット創世記になりました。

その時、インターネットの中から面白い音を見つけて、それと音楽をリミックスするという番組を思いつき、社内プレゼンしてみました。
しかし、誰からもあまり協力してもらえません。
それでも、出版社と音楽制作会社に掛け合って、自分でスポンサーを見つけて半年ラジオ番組としてオンエアしました。

何か新しいことをやろうとすると、周りから反対されたり、賛同が得られなかったりすることが多いと思います。

「やめた方がいい」
「そんなことやってどうなる」
「・・・(無関心)」

こんな感じで周りに冷たくあしらわれたら、あなたは辞めますか?
サラリーマン時代、私は自分がやりたいことはトコトンやりました。
よくいうセリフは下記でした。

「これでスポンサー集まらなかったらどうする?」
「責任を取ります」

今でも新規事業はしょっちゅう社員に反対されます。(笑)
しかし、やると決めたからにはある程度までやってみることが大事です。
事業というのは人の顔色伺いながらやるものではありません。

というか、広告代理店時代は、番組枠をテレビ局やラジオ局から事前に買うので、何が何でもスポンサーを見つけて実施しないといけません。
やるからにはリスクと覚悟が必要です。
会社もそうで、作ったからには何年も長続きさせないといけません。
創業後会社が20年続く確率はたったの0.4%なんです。

単に「おもしろそうだから」と思ってやるだけのあなたは長続きしないでしょう。

4.他人と違っても気にしない

東京本社に転勤したとき、ケータイキャリアの担当になり、店頭プロモーションやVMDの仕事をしていました。

VMDはケータイショップの売場づくりのコンサルでしたが、これ以外にもたくさん仕事はありました。
睡眠時間は毎日2~3時間。それが1年続いていました。

「死にますよ」

よく同僚に言われていました。
しかし、将来のためのノウハウを得るために睡眠は犠牲になりました。
浅草橋から隅田川を眺めながら、早く週末になることを願っていました。
しかし今だと、これ問題になりますね。。。。

前の会社はテレビや新聞などマス広告中心の会社です。
社内では店頭プロモーションやVMDなどはもう論外で、「どぶさらいみたいなことやっている」と、他の方から言われていました。
マス広告やっているとカッコいいのだろうか?
私も過去CM賞や新聞賞取りましたが、テレビも店頭も同じだと考えていました。

「ビジュアル・マーチャンダイジングってなんかかっこいい!!」

実は、この道に進んだのは名前からでした。(笑)

そして意外と売場づくりに困っているクライアントがたくさんいることも、この業務で知りました。

「売場づくりに特化した広告代理店なんてないだろうな」

こうしてVMDに特化した広告代理店「オーバルリンク」が誕生しました。
みなさーん、どんどん異端児になりましょう。

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

君たちはどう生かすか

1.プロローグ

人生日記もノート6冊目になりました。
1994年の9月10日に書き始めてからちょうど30年です。
自分の将来について行動プランをいろいろ書き溜めていました。
そのころは広告代理店のサラリーマンでした。

ちょっと1994年9月10日のライフプランを読み返してみましょうか。

  • 80歳で死ぬことになっている。
  • 老後は外国語の旅行ガイドやっていることになっている。
  • 60歳で年金生活始めることになっている。
  • 55歳でリタイヤして自分の会社を始めることになっている。
  • 44歳で東京本社に移ることになっている。
  • 45歳までCMプランナーとして大成することになっている。
  • 40歳で年収1,000万になっている。

などなど。
他のページでは、

  • 40~50歳まではスピルバーグ
  • 50~70歳まではクリントイーストウッド
  • 70~80歳まではショーンコネリー

みたいな雰囲気(あくまで雰囲気です)の男になりたいようなことも書いてありました。
そして自分の性格のいいところ、悪いところも書かれていました。(笑)

ブログが流行るかなり前に書いていたこの人生プランは、いつも9月の連休の一日を割いて一気に書いていました。
朝から晩までです。沈む夕日を見ながら書いていました。
だから日記というよりも、年記みたいなもんですね。

ただ、平素でも会社であったいやなこと、問題点やクライアント営業計画なども書いていました。
書くと思いが整理整頓されるし、解決策も書いていたので行動指標にもなりました。

また、普段やりたいこと、チャレンジしたいことも書かれていました。

  • 世界釣り旅行に行く。
  • マラソンで40K走る。
  • 英語堪能になる。
  • オイコットライフをする(週末は田舎で週中は東京)。

また、労働時間も計算していました。
そのころは、下記でした。

1年250日出勤 × 1日13時間の労働 = 1年3,250時間の労働

普通の人は、

1年250日出勤 × 1日8時間の労働 = 1年2,000時間の労働

でしたので、当時は普通の人の65%増しの仕事量でした。
働き方改革が叫ばれている昨今、これだと労働問題ですね。
というか、過労死ラインですね。。。

で、とりあえず、

年間250時間は節約し、3,000時間になるようにプランしてみました。

すると、家に夜8時に戻れることに気が付きました。
(月)(火)は友達に会ったり英語の学校に行ったり趣味に時間を生かせることに気がつきました。
(水)(木)(金)は家で夜のんびりできることにも気がつきました。

まるで企画書を書くように、物事が整理整頓できてきました。
9月に1年を振り返っては、公私共々ほぼ書いたこと7・8割は実現できていました。

明日を、来週を、来年を、10年後をどうしたいか、書くことはいいことだと自負しました。
書くと、明日、来週、来年をどう生きていけばいいのか、道が見えてくるからです。

会社も朝7時に出社するようにし、「今日は何をしたらよいのか」コーヒー飲んでゆっくり考えることができました。
このようにすると、今日の仕事ではなく、明日の仕事もスケジュールに入れることができ、番組制作などクリエイティブな仕事もつくれるようになりました。

公私の時間の使い方と適正な設計を日誌で学んだんです。

2.書いたことを実践するには

前いた広告会社を辞めオーバルリンクという会社をスタートさせてからは、プライベートがなくなったので日記内容はほとんど会社のことになりましたが、ここ10年くらいは、余裕がでてきたのでプライベートなことも書くようになりました。
つまり、サラリーマン時代の書き方にもどったのです。

ただ、書いたことを実行するには、他の時間を省略しなければいけません。
1日は24時間しかないので、何かを実行するためには何かをやらないようにしなければいけません。
例えば下記がそうでした。

・オフィスに行かないでほとんど家にいる
 →すると通勤時間が2時間節約できる

・会社のサービス項目を半分にする
 →すると時間が効率的になる

・他社のやらないことをやる
 →すると利益率が増えるので、むやみに営業しなくて済む

・デジタルマーケティングにする
 →訪問営業がなくなるので時間が節約できる

どうですか。
これって、コロナ禍になってみんな気づいてやり始めたことでしたよね。
私はすでにやっていたんです。

すると、

・寝る前に1時間はジャズを聴いてリラックスしたい
・週に2回は筋トレしたい
・毎日レアジョブで英会話したい

ができるようになりました。

3.始める日にちを決める

「これやりたいけど、できないだろうな、時間がないもの」
「あれやりたいけど、上司に怒られるだろうな、今忙しいもの」

などと、自分のやりたいことをあきらめていませんか。

まずはやりたいことを何かに書いてみましょう。
メモ帳でもノートでもいいです。
もちろん、スマホやパソコンでもいいですよ。

やりたいことを書いたら、次にどうすればそれができるようになるのか、時間を整理してみましょう。
先ほど言ったように、できる時間をつくるんです。
すると、思ったよりできるようになります。

そして、自分の大事なものが仕事や家事ではないことに気がつきます。
毎日を生活するには、「バランスが大事」ということに気がつくはずです。

4.仕事やプライベートはバランスと流れ

やりたいことができてくると、流れるように時間が使えることに気がつきます。

もちろん、毎日のルーティーンにしてしまい、きちきち時間を決めてその通りにやる。

これはけっこうなのですが、あまり四角しばって生活すると心の余裕がなくなります。
今プレゼンで忙しいのに、無理やり時間割いてジムに行く必要はありません。
要はバランスです。
忙しいときは全力でプレゼンに力を注ぎ、その時使った時間を後で筋トレに使えばいいのです。
人間は2.3週間筋トレしなくても大丈夫。
プレゼンの後に元の筋トレに戻って続けていけば、いつもたくましいあなたでいます。

結論として言うと、仕事やプライベートはバランスと流れなんです。
大事なのは、やりたい!と思ったことを続けることです。
そのバランスと流れを見極めましょう。

5.やりたいことは続けないと積もらない

よくあることなんですが、忙しさにかまけてやろうと思ったことを辞めてしまう人もいます。

・毎週筋トレしていたのに、忙しい日々が長く続いたので、いつのまにかやめてしまった。
・時間がとれなくなる日が多くなったので、英会話学校にいけなくなった。

これはVMDでもよくあることなんです。

・なかなか人が集まらないのでセミナーをやめてしまった。
・VMDの仕事が入らなくなったのでホームページ制作の仕事に切り替えた。
・メルマガを始めたけど時間に余裕がなくなったのでやめてしまった。

私が数字にこだわるのは、数字を重ねることによって持続が確認できるからです。

  • オーバルリンクは創業21年。
  • 書いた論文数は70論文。
  • VMDインストラクター資格者は900人。
  • 売場塾は90期。
  • 月刊VMDは3年目。
  • このメルマガは270通目。

などなど、決めたらその通りに鋭意実行するといいと思います。
「生活がうまくいかないな」という人は、途中であきらめてやらなくなってしまうから。

なんとなくやってみる。
他人がやるからやってみる。

のではなくて、まずは書きましょう。
書いたことは宣言になりますので、ふと思った、というよりも計画として書き下ろした感が強くなります。
計画したことは遂行したい気持ちになってくるのがわかります。

後は時間のバランスと流れにうまくオールを使って航海していけばよいのです。

ということで、今日は暑中見舞いの代わりでした。
ご清聴ありがとうございました。

●VMDインストラクター起業・副業相談会

VMDを自分のキャリアにしたい、と思う人は、VMDキャリアの蓄積の仕方、本職とVMD職のバランスと流れの取り方、いろいろお教えできます。
ぜひ、「VMDインストラクター起業・副業相談会」にお越しください。
最後は宣伝でした。(^^)

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)

VMDインストラクターとしての起業の現状

0.VMDインストラクター900名のうち16%がフリーランス

先週の合格者発表でVMDインストラクター資格取得者はジャスト900名になりました。
合格者の皆様、おめでとうございます。

この機会に、今回はどうやってVMDインストラクターとして独立・起業するか、その近道をお教えします。
以前、VMDインストラクターとは売場を編集する人のことで、デザイナーとも設計士ともデコレーターとも違うということをお教えしました。

●売場編集とはVMDインストラクターの仕事

さらに、VMDインストラクターという職業の仕事の仕方も下記で詳しくお話ししました。

●VMDインストラクターのビジネスモデル

今日はここから一歩踏み込んで、売場塾卒業生が実際にVMDインストラクターとして活躍している事例を踏まえてお話しします。
1000人近くの売場塾と接してきましたが、全体の16%がフリーランスでVMD活動をしている方です。
16%といえば160人ということですし、社員でも副業として活躍している方もいるので実際の起業者はもっと多いのではないかと思います。

では起業したVMDインストラクターがどのように仕事を遂行しているのか、ひも解いてみましょう~。はじまり、はじまり~。(^^)

1.初めは法人のVMD研修インストラクター

実際のところ、フリーランスの方で売場塾に来られる方は、

A.法人からVMD研修の依頼が来たので研修の仕方を会得しに来た
B.VMD指導をなんとなくやってきたが、きちんとした理論を身に着けたい
C.デコレーターとしてやってきたがVMD研修もできるようにしたい

Aは、研修会社にフリーランスの講師として所属している人、または自分で研修会社を主宰している人の他に、下記の方たちが多く来られます。

  • カラーコーディネーター
  • インテリアコーディネーター
  • スタイリスト
  • フードコーディネーター
  • フラワーコーディネーター etc

つまり、ACTiveな方たちが多いということです。
・Adviser アドバイザー
・Coordinater コーディネーター
・Trainer トレーナー

この定義、詳しくは下記のサイトで解説しているので参照ください。
●ACTive女性とは

VMDの寺子屋のような売場塾なんですが、実際には1カ月後にVMDセミナーがあるので急いできた・・・というような方もいました。
例えば接客やカラーのお仕事をされていても、クライアントや研修会社から「VMDのセミナーをやってほしい」という依頼が来るので、短期間で研修講義できるように売場塾の門をたたいた、ということです。

VMDインストラクターとは文字通りVMDを教える人のことで、売場づくりの先生でありますので、売場塾はまさにうってつけ!というわけです。
売場塾を始めたころは、「みんな付け焼刃で研修大丈夫かな?」と思っていましたが、取り越し苦労でした。
「研修講義をしたところ、受講生の皆さん喜んでくれました」という朗報が多いです。
研修成功の秘訣はワークショップにあって、売場塾の豊富なワークショップを彼女彼らなりに工夫して行っているケースが多いようです。

このように、ある程度売場塾のフレームワーク(売場づくりの型)を習得すれば、その型を使って教えることができますので、正直VMDを経験したことがない人でも、集合研修ならできると思います。
事実、当社でも10名位卒業生にセミナーを依頼していた時期もありまして、どんなVMD初心者でも立派にセミナーをこなしていました。

アンケートをとっても「すごくわかりやすかった」「楽しかった」という声がにわかVMD先生でも多かったです。(笑)
このように集合研修は、売場塾卒業と同時にフリーランスの方がわりとスムーズに行える仕事です。

ぜひVMD研修の先生になりたい方は、売場塾の門をたたいてみてください。

2.慣れてきたらリバイス・インストラクター

さて、問題はリバイスです。
教えることは、にわかVMD講師でもできるんですが、リバイス売場をその場で改善することは慣れていないと難しいです。

リバイスとは、売場改善研修のことで、当社でもサービスとして行っています。

●リバイス・サービス

その場で店舗診断して即売場を直さなくてはいけないので、陳列や展示、什器レイアウトやゾーニング、VMD分類位の型位は頭に入っていないとなかなか直すことはできません。
リバイスの場合、VMDの型は最低30位いるんです。

雑貨やアパレル、食品などはディスプレイがモノをいうので、センスある人だったら売場を直せると思います。
しかし、家電や薬、自動車や不動産になるとなかなか売場を直せない人が多いです。

なぜならそれらの売場は、ディスプレイがキレイだからと言ってモノは売れないからです。
陳列や展示の他に、什器レイアウトやゾーニング、導線、POPなどの型を使わないと売上は上がらないからです。

なので、にわかVMDインストラクターは、雑貨や食品・アパレルの業種から入る方が多いです。
これらは家電や薬、自動車などと違って比較的簡単だからです。
ディスプレイを直すことによってクライアント受けしますし、ディスプレイは見違えるようになるからです。

このように、にわかVMD先生は最初はVP,PP,IPのディスプレイ中心のリバイスを行っていき、自身がついてきたら徐々にゾーニングやPOPも取り入れて行きましょう。
するといろいろな業種の売場をリバイスできるようになります。

事実、売場塾を卒業して10年目のベテランはあらゆる業種のVMDをリバイスしているケースが多いです。
特に販促やPOPをVMDメニューに入れている人は格段にクライアントソースを広げています。

3.店舗診断は無料から始める

今まで述べた研修、リバイスとも店舗診断が支えていると言っても過言ではありません。
クライアントは「ディスプレイをつくってくれ」「ディスプレイを教えてくれ」と言っているわけではないです。
「今ある売場をなんとかしたい」と思って研修やリバイスを頼んでいるんです。
もう一歩進んで訳すと、「売場の売上を上げたい」「小売店の棚をたくさん取りたい」「ブランドらしいたたずまいにしたい」などと言う理由がVMDの依頼の発端になっています。

もちろん、「美しいウインドウディスプレイをつくってほしい」というクライアントもいるでしょう。
でもそういう仕事はVMDインストラクターというよりも、デコレーターやクリエイターに頼んだ方がよいでしょう。
VMDインストラクターは売場づくりを教える資格だからです。

そういうことで、店舗診断ができるようになることは、VMDの仕事を根底から支えるベースを自らの中につくることができている、ということです。

にわかVMD先生は、研修やリバイスもよいが、店舗診断の数をこなしてめきめき上達していくことをおススメしています。

売場塾が教える店舗診断は、単なるチャート図や星取表で店舗を診断するのではなくて、想起法という手法を使って写真診断するのが特長です。
なぜ写真を使うというと、漏れがなく重なりがないように診断するからです。
健康診断で人間ドックにかかるように、店を店舗ドックにかけるということです。

ちなみに写真を使った店舗診断の利点は下記を読んでください
当社の店舗診断の特長が書かれています。

●店舗診断

にわかVMD先生は、店舗診断は無料で行うことをおススメします。
ホームページやブログで無料キャンペーンを謳うとよいです。
実際、VMDインストラクターノホームページを見ると、店舗診断をメニューにしている方が多いです。

どんなクライアントでもVMDを導入する前提として、うちの売場のどこが悪いか、知りたがっています。
これは中小の商店からよく知っているブランド、はては銀座に基幹店を置く高級ブランドまで悩んでいることなんです。

そんな悩みのあるクライアントに店舗診断をまずおススメして、VMDコンサルの足がかりをつくっていきましょう。

4.官公庁のサービスをうまく使って実力を磨く

多くのフリーランスの方が利用しているのが官公庁のサービス。
いわゆる専門家派遣というものです。

  • 中小企業振興公社
  • 商工会議所
  • 中小企業庁
  • 県・区・市の担当部署

など、全国いろいろな公的機関で専門家派遣を行っています。
これは地域のメーカーや小売店に官公庁がVMDの専門家を送り込むしくみで、官公庁に登録すれば、無料でクライアントを紹介してくれて官公庁から直接報酬をもらえます。

報酬は時給5,000円から1日50,000円位の幅ですが、セミナーや講演会の場合は10万円以上支給するところも多いです。
店に行っての店舗診断、リバイス、研修などの仕事が多いです。
メリットは、クライアントが気に入ったら継続して直接取引できるところ。

人気VMDインストラクターになると、クライアントと多数取引出来てとても忙しく、全国を回っている方もいます。
東京が地場だから関東近辺、名古屋が地場だから中京ということはなくて、人気のある方は北海道から沖縄まで飛び回っています。
この専門家派遣という事業、地元だから依頼するというのはあまり関係ないようです。

私も起業したての頃は中小企業振興公社にお世話になりました。
クライアントを紹介してくれたり、当社へのコンサルティングを5年くらい行ってくれました。

言葉は悪いですが、にわかVMD先生のトライアルにはもってこいのしくみで、うまくいかなくても報酬は官公庁から出るので、ロハになることは全くありません。
当協会にも「だれかいい人いない?」と官公庁から相談が来るくらいなのでVMDの専門家が足りていないはず。
ぜひ登録してみてください。

●例/ 中小企業119

このしくみを利用して成功しているのは、必死になってVMD業務を覚えるアグレッシブな方です。
そうやってレギュラーの仕事を増やしていき、手狭になったのでやがて会社を作るようになる人もいます。

先ほどいったように、VMDインストラクターも先週900名になりました。
フリーランスの方だけでなく、企業にお勤めの方にも無料で起業・副業相談会をやっていますので、どなた様もお気軽にお申込みください。
もちろん、売場塾卒業生の方でなくてもけっこうです。

●VMDインストラクター起業・副業相談会

諸外国に比べて起業者の少ない日本で、ぜひこのような新しい職業人として活躍する人を増やしていきたいと思ってやみません。

(VMDコンサルタント 深沢泰秀)